巨匠技術師フランツ・モア
ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ギレリス、
クライバーン、グールドなどなど、
世界のピアノ関係者から尊敬され慕われている
巨匠技術師、フランツ・モアは非常に有名だが、
彼が日々何を考えて生きているのかは中々知り難い事項であろう。
そして、それと同じくらいにあらゆる時代を生き抜いてきた
名ピアニストたちの知られざる姿が存在していたのも事実でしょう。
彼だからこそ描けるピアノ界における巨匠たちの素顔、
彼だから語れる巨匠たちの逸話。
機会があれば彼の書いた本を是非読んでみたいです。
FRANZ MOHRは1927年生まれ、幼少よりヴァイオリンを奏でていたが、
練習のし過ぎで手を痛めて挫折、それでも音楽と縁があり、
最終的にはスタインウェイ・ピアノのコンサート技術師となります。
25年以上ものキャリアを持つモアは
伝説と言われた数々のピアニストたちと接する機会がありました。
彼はリハーサル時に1度たりとも
ピアニストを1人にしたことはないという。
それは万が一のときに直ぐに対応するためだったという。
しかしながら、その万が一は1度も発生しなかったそう。
コンサート中でさえ、彼はステージ裏に必ず控え、
実際に客席でコンサートを拝聴したことはないらしい。
彼はピアノという楽器を深く知りつくしていたばかりか、
精密な調律、バランス、音色の全てに気配りすることができる
他に類を見ない飛び抜けて優秀な調律師でした。
それぞれのピアニストに合わせた調律、
それぞれのオーケストラ専用のピッチ、
そういった事細かな配慮を世界最高峰のレベルで
提供することができた人なのです。
彼は1962年にWilliam Hupferの助手として
ニューヨークのSteinway & Sonsで雇われましたが、
1968年には既にコンサート技術者のチーフに昇進するまでに。
驚いたことに彼は1950年ドイツのケルンで
ピアノ製造について学んでいたそうです。
1956年にデュッセルドルフにて
スタインウェイ・コンサート・ピアノのディーラーになり、
その6年後に家族共々ニューヨークへ引っ越すまで
コンサート・サービスに従事していました。
そもそも彼はドイツのDuren生まれだったのです。
アレェクスェイと同じくケルン音大で音楽を学び
その後はDetmoldの音楽アカデミーにて勉強しました。
後に妻のElizabethとニューヨークのLynbrookに移り住み
女の子1人と男の子2人を授かりました。
息子の1人は家業といわんばかりに同業者となり、
Long Islandにあるスタインウェイ工場内の
消費者サービス・センターでマネージャーをしております。
モア自身は1992年にスタインウェイを退社し、
現在は熱心なスタインウェイのアドヴァイザー及び、
コンサルタントとして世界の第一線で仕事をしています。
また、彼は素晴らしき本の著者でもあります。
彼の語りの中で最も印象的な言葉は
『私はどんなピアニストよりも
カーネギー・ホールのピアノを弾いている人間です。
ステージであれだけの時間ピアノを鳴らしていると
私を巨匠と勘違いする人がいるかもわからないが、
私にはもはや観客はいない』
モアは毎日聖書を読んでいるという、
そして、毎日神に祈りを捧げているとも。
彼曰く『ただただ音楽を我武者羅にやっていても意味はない。
自分の進むべく道を早く悟るべきだ。
神があなたの為に用意してくれた進むべく道を・・・』
私が日頃、語っている正にこのセリフを
モア氏自身が話しているとは何とも言えない気持ちになりました。
世界中の巨匠と係わりあってきた彼は
勿論のことだが、音楽の本来の意味を知っているのである。
彼はピアノの音だけでなく、神の声をも聴き(聞き)うる
素晴らしい耳を持っているのだと実感した次第です。
裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:10/05 23:12 最終更新日:10/05 23:12
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