プッチーニ家の謎
プッチーニ家は18世紀から連綿と続く
ルッカの宗教音楽家の家系で、
中には器楽作曲家もいた。
この中で唯一オペラ作曲家を目指し、
尚且つ今日、唯一世界的音楽家として名声を残したのが
ジャコモ・プッチーニ。
わずか5歳のときに父親が没した為、
叔父フォルトゥナート・マージより、
温情を以って教育を与えられる。
最初は教会オルガニストの職を得るが、
ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『アイーダ』の上演に接して、
オペラ作曲家を志した。
1880年『グローリア・ミサ Messa di Gloria』の完成を以って、
初期の音楽修業と家業である宗教音楽家の道に区切りを付ける。
この作品ではやがてミラノの舞台に於いて
プッチーニが開花させることとなる劇的な表現力を、
魅力的なまでに窺わせている。
1880年から1883年までミラノ音楽院にて
アミルカーレ・ポンキエッリとアントニオ・バッジーニに師事。
1882年には出版社ソンツォーニョ社主催の
1幕物オペラの作曲コンクールに参加、
入賞することはできなかったが、
提出作品『妖精ヴィリー Le villi』は
後に1884年に舞台化され、
出版社リコルディ社主ジュリオ・リコルディに
注目されるきっかけとなった。
こうしてリコルディ社の依嘱によって作曲されたのが、
1889年に完成された2作目のオペラ『エドガー』。
1891年にはトスカナ地方のトッレ・デル・ラーゴに別荘を購入し、
終生にわたって仕事場兼自宅とした。
プッチーニの亡骸が眠っているのもこの地である。
懐かしのミラノ、懐かしのトスカーナ、
暫く行ってないなぁ〜。
私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!
裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:01/29 20:56 最終更新日:01/29 20:56
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