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音楽鑑賞記 偉大な独裁者編

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窓を開けて外を眺めると、近くの土手で野良猫が呑気に欠伸をしている。
黒に少し白い毛の混じった猫で、存分に伸びをした後、ふと、こちらに目を向けた。
  
猫「相変わらず人間の世界は騒々しいねぇ」 

私「まあね」 

猫「今度は何で喧嘩をしてるの?」 

私「宗教絡みだよ」 

猫「飽きもせずによくやるよ、いるかどうかも分からない存在のために」 

私「侮辱する方も、暴れる方も、どっちもどっちだね」 

猫「そもそも、何で人間は宗教なんかに頼らないと生きていけないの? 人間だけだよ、そんな事で諍いを起こすのは」 

私「多分だけど、みんな心の拠り所となる存在が欲しいんじゃないかな?」 

猫「心の拠り所?ふふん、笑っちゃうね。つまり、自分達の運命を決めてくれる存在という訳でしょ。生きる意味を与えてくれる存在、支配してくれる理想的な独裁者が<神>という事だな。そして人間は神の奴隷として、面倒なことは考えずに言いなりになっていれば良い。人間は、自ら盲目になる事を望む特殊な生物なんだ。その挙げ句、<敵>と衝突してたくさん死人が出ても、神の為なら構わないとくる。究極の責任転嫁だ、いつものことだけど」 

私「辛辣だね」 

猫「人間はいろんな宗教を作ったよね。そしてお互いに憎しみ合っている。全知全能の神なんてのがいるとしたら、随分と意地悪なヤツだよ、実際のところ」 

私「同感だよ。まあ、悪い点ばかりでもないだろうけど。最近は、互いの宗教を尊重し合う風潮になってきているのが、わずかな希望かな」 

猫「希望は失望の前置きさ。君ら人間は、表面だけ取り繕うのが好きだからね。そら、<美しさは皮一枚、醜さは骨の髄まで>って言葉があるだろ? ま、オレ達には直接関係無いけど、否応なく巻き添えにされるから迷惑なんだよね。自然界での立場をわきまえて欲しいものだよ、まったく! 君も気を付けてよ」 

そう言い残すと、野良猫はその場から立ち去った。・・・ 

後に残された私は、暗澹たる気持ちに襲われる。そして、重苦しい気分のまま音楽を聴く。
ハルトマンの交響曲第2番「アダージョ」を。 

カール・アマデウス・ハルトマンは、ナチス政権に反抗し、大戦中は国内亡命を余儀なくされたというドイツの作曲家
しかし戦後になって評価され、今では20世紀を代表する交響作曲家の一人とされている。 

8曲の交響曲は、どれも暗くて重い、しかし強烈なエネルギーがほとばしる作品。
第2番「アダージョ」は、15分ほどの単一楽章形式で、タイトル通りアダージョで沈鬱な始まり方をする。サクソフォーンの響きが非常に印象的だ。やがて音楽は激しさと鋭さを増していき、凶暴な嵐が吹き荒れる。最後には、再び冒頭の仄暗い世界が戻ってきて、全てが闇の中に消えて行く…。 

音楽は、儚さも残酷さも容赦なく表現する。だから好き。
 
※参考
http://www.youtube.com/watch?v=N5AmqY5OSX8 
 

 交響曲 作曲家 器楽曲 吹奏楽∩管弦楽器 協奏曲


日付:2012年09月17日

32件のコメント

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このブログ(日記)へのコメント

u−

kan-noさん

長いし小難しいので飛ばし読みだけど、音楽でどのような「体験」も出来ません。疑似体験さえ無理。
出来るのは想像。

人のブログに書き込んで「あなたの意見はどうでもいい」は失礼です。
それなら自分のブログとして書くべき。
こういう事、外国ではまかり通るのでしょうか。
これでは単なる自分の意見の押し付けで、ディスカッションでもディベートでも無いように見受けられます。


横から失礼しましたm(_ _)m

2012年09月22日 13時42分00秒

Shigeru Kan-no

そのうち放送局から音源借りて出すだろうね。もう現代音楽ではなくて近代音楽だからね。まあー、ナクソスといえども現代音楽は売れませんから何時も遅出し。調号やメロディー・リズムがあったら今では近代音楽だね。現在の放送局は申そう言う分類になっていて、放送響の定期では必ず近代音楽入れても客が入る時代になりましたね。

でもまだ現代音楽は別枠ですね。ケージの103だって演奏が始まったら現代音楽の関係者でさえみんな出て行きますからね。何しろ意図的に白い影付きの壁だけを映した白黒の映画音楽で演奏に90分かかるから聴く方も大変なもの。

まあー、もちろん全部に答えていませんが、また後ほど書きましょう。

商業主義と芸術主義の実際の作品価値が違うからです。産業にとってはなりよりも残らなくとも流行に乗ってその国だけで「売れる」作品が良い作品ですね。芸術にとっては何よりも残る作品が良い作品です。残るということは単に時代や世代を超越していなくて国境や民族までも越えて鑑賞されることです。そういう意味でイラン交響楽団や今後のキンシャサ交響楽団でも演奏されるベートーヴェンやチャイコフスキーは商業価値よりも芸術的価値が高いものです。こういう価値の共有は驚くほど世界的に共通しています。現代音楽も同様です。音響作曲法といったら世界の隅々にまで同じ概念で浸透していて意見が割れることはありません。

現代音楽がこうなったのは何よりも採算を完全に無視して、芸術価値だけを考慮したより良い音楽だけを追求したためにこうなったのですね。

2012年09月22日 18時08分47秒

Shigeru Kan-no

ハルトマンの全交響曲も全部放送局などの委嘱で書いたと思います。ショットのスコア見ればまず大体表紙に書いてあります。当時は彼に委嘱することが現代音楽を前進するのに役に立つと思ったのですね。結果はご覧の通りでまずは放送響の定期のレパートリーからは完全に落ちました。まあー、聴音などの耳の訓練には使えるでしょう。でも戦時をテーマとするとやはり弦チェレの方が圧倒的ですね。

今日現代音楽が入った定期としてクラシックの協奏曲や交響曲の前に良く演奏されるのはリゲティの初期の管弦楽曲やベリオあたりでしょう。ドナトーニやブーレーズも多くなりましたね。これだと2晩同じ定期やってももちます。その指揮者現代音楽の初演でも使えるかどうかの目安になるのですね。次の常任指揮者の候補の選定条件になります。

2012年09月22日 18時16分49秒

Shigeru Kan-no

まあー、こういう話は現代音楽家のプライドというよりもなぜこうなるか誰にでも納得できる様に説明するのが一番でしょうね。ダレだって良い局を書くために作曲で悩んでいるのです。

ところが残念なことに誰もがどうしてそうなるのか昔は衝動という言葉以外では説明できなかった。シェーンベルクでさえそうでしたね、それをダルムシュタットで理論化したのがテオドール・W・アドルノです。それでも湯浅氏や武満氏らは特にダルムシュタットとは深くかかわっていなかったので、助川さんに質問されても彼が納得するようには説明できなかった。

代わって僕がやってみたら見事に当たったらしく自分の立場がなくなってブロックされた。この前死んだコマーシャルで売れっ子の玉木さんらもそうですね。こういうこと言っちゃうと芸大系の作曲家は今まで築き上げた高きプライドの権威がすべて崩れますから、そういう本当の事いう人を抹殺しようと書かせない様にブロックするのが普通です。

12音なんかもいち早く取り入れて実行したのは芸大系ではなくて入野さんや柴田さんらの東大系ですね。やはり学問一般を勉強していると領土の狭い音大の人よりも見識が広いので目標を見失うことは無いようです。

2012年09月22日 18時58分01秒

Shigeru Kan-no

まあー、常套句の話は間違ってはいないけれども。もううんざりでしょう。もっと違った表現で言いたいものです。商業主義の音楽ってお金は儲かりますがそれが真に良い音楽とは限らないのです。コマーシャルと下ろしたらそれで終わり、流行が過ぎたら終わりがほとんどです。レベルが高いや次元は低いの同様でしょう。間違ってはいませんがうんざりですね。

別にここは特に大勢に人が見てなくとも良いんです。誰かの納得されるだけでも良いし、何しろ僕はここに書くことによってそういう問題を以下に明確に論述するかの練習にも使っていますからアクセス回数は気にしていないんです。よく書けたら他のBBSに転用する可能性もあるし以外と便利です。

2012年09月22日 19時07分14秒

九尾

入野さんや柴田さんって、入野義朗さんと柴田南雄さんの事ですよね?
入野さんのシンフォニエッタと、シンフォニア(交響曲第1番)は好きです。

あれ? 現代作曲家の場合、「交響曲という題名だけで普通だったら研究の対象から外れ」るのでは? 
お二人とも交響曲書いてますけど…。

2012年09月22日 23時34分32秒

Shigeru Kan-no

12音の交響曲といったらウェーベルンの作品21からそれに入るでしょう。でも言うまでも無く調性が無いしソナタ形式への正式な手続きは不可能ですね。その提示部と展開部・再現部野繰り返しの記号がその名残です。実質的に交響曲じゃないのですね。少なくとも管弦楽のためのソナタじゃない。いさん・ユンじゃないけれどもそうやって交響曲と嘯いて再構成してみるのも良いんじゃないですか?だってバッハの三声のシンフォニアはチェンバロで弾かれた「交響曲」でしたからねえー。その他にもロッシーニなんかのイタリアオペラの序曲は「シンフォニア」交響曲です。ただ調性に対立する12音で交響曲としたのはその不信感への中和には役に立ちますね。しかしそれ以外の方法で交響曲を作ったrどうなるか矢は今でも考えても恐ろしいです。我々は無数の失敗例を見ているからです。残念ながらハルトマンもマルティヌーもそれに入るでしょう。

2012年09月23日 03時04分33秒

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