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Museでクラシック音楽を通じて素敵な出会いを

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黎明期の電子音楽 〜未来への追憶〜

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タワーレコードのポイントが貯まってきて、期限も近づいてきたのでディスクと交換することにしました。連休に入ったのでまとめて聴くには良い機会です。
歯医者の帰りだったのであまり考えたくなく、現代音楽コーナーに絞り、どうせタダみたいなもんだからと普段は買わないものを物色しました。
目に付いたのが、"OHM+: The Early Music Gurus of Electronic Music - 1948-1980"。
グルなんて単語と電子音楽とのギャップが中々中世SF的です。時代がアナログなところも良い。作曲家名がパッケージからは全然分からず、ビルボードやローリング・ストーン誌の絶賛記事が載ってるとこも怪しくて素敵です。
ハズレかなぁ、でも1948年からだから、シュトックハウゼンやシェフェールとかは入ってるだろうし、60年代も期待できそうだなぁ...と迷いつつこれに決定。レジ傍の月刊プレイボーイ(J)「ジャズ最強読本」と共に手に入れました。
「ポイント2倍期間なんですけど..」と親切な女性のレジ係さん、ありがとね、でも使います。

CD3枚にDVD1枚と、お買い得感のあるパッケージです。中を開いて作曲家 or 作音響者リストを見ると、半分ぐらいしか知りませんね。まぁ、そんなもんか。半分は技術者か研究者なのでしょう。
日本人からは湯浅譲二ただ一人です。もっといるんだけどなぁ、と早速不満です。
ピエール・アンリとか、重要人物が何人か入ってないし。ミュージック・コンクレートは別扱いかなぁ? ケージやチュードアを入れるんならレジャリン・ヒラーも入れてほしかった気がするし、IRCAMの成果も入ってないようだし...ま、文句言い出すとキリがありません。

遊び半分に手に入れたとは言え、歴史的な電子音楽など久々です。どこか構えていたのでしょう。1曲目からいきなりへたりこみそうなポヨヨン系調性音楽が流れ、脱力感に満たされました。のっけからテルミンでロマン派かよう!(チャイコでした)と期待は一気にしぼみました。ま、ロハ(死語)なんだしいっか。
ちなみに何年か前、玩具のテルミンが出ているのを、マニアックな楽器店で見つけて衝動買いしました。やってみたけど全く音程が取れません。弦の無い3次元空間ハープを弾いてる感じです。傍でみてたらただのハ”カです。音程とれないと友達を失いかねません。実際、若い友人たちの前で嬉々として弾いたら完全に無視されました。発明者のテルミン氏の苦労たるや推して知るべしです。

気を取り直して、以下、貴重な音源について書いてみます。末尾に試聴できるページを載せたので、興味ある方は聴いてみて下さい。

<1枚目>
2曲目はメシアン御大による1937年のオンドマルトゥノ曲です。公平を期したのでしょうか? "1948-"とのアルバム・タイトルは嘘ですね。てっきりケルンの電子音楽スタジオから始まるものと思ってましたから。冒頭で先駆的な電子楽器を紹介しただけかもしれませんが、戦前篇としてまとめてほしかった。

3曲目のピエール・シェフェールからはやっと普通に聴けました。こっちがケルンより先でしたね。全然忘れてました。
ま、機械の時代の音源を想像しながら具体音を聴くのは、懐かしくも新鮮な体験です。作品はレトロな美学に彩られています。

4曲目。突然、ジョン・ケージです。52年と早すぎる登場ですね。偶然か出鱈目か、終了後のブラボーの大拍手と、続くブーイングは取って付けたような気がしたんですけど、まさかそこまでが曲ではないでしょうが。

5曲目からは、SF映画の効果音に数多使われたような、聴き慣れた音色のサンプルが続きます。後にアニメの鉄腕アトムで使われたピコピコ歩きの音の原型が、50年代初頭に作られていたとは驚きです。

8曲目。『禁断の惑星』のサントラだそうです。56年でこの音ですか。驚異的ですね。映画のスチルを今見るとチャチですけど、当時は胸が高鳴ったことでしょう。キューブリックまではまだ遠いのです。

9曲目のオスカー・セラはコミカルな洒落た音楽です。チト一服。

10曲目、エドガー・ヴァレーズです。どういう原理の音楽的構造体なのか分かりませんが、多様な音の面白さを逐次重ね合わせている音響体です。アイデアの断片を音として次々と繰り出していきますが、全体的に間の多さを感じます。垂直な積み重ねも少ない。
この時代、他の曲も音が離散的ですし、あまり相互に絡みません。同時発信による多重音が種々の制約から困難だったのかもしれません。
その点ケージは52年なのに埋め尽くしてますね。音数が少ないにせよ特異的です。

13曲目はいよいよ電子音楽の巨人、カールハインツ・シュトックハウゼンの登場です。名前まで2人分はありますね。曲は59年の『コンタクテ』。接触です。当時の耳からすれば、未知との遭遇だったかもしれません。
超有名曲を入れてきたのはプロデューサの気合いでしょうか。私は、チョコチョコッと入るピアノの方が、設計・管理された電子音より好きですが。この入れ方にシュトックハウゼンのセンスを感じます。管理された偶然なのかもしれないけれど。

15曲目、ミルトン・バビットの作品はまとまった普通の音楽として作られていて、現代音楽慣れしていれば聴きやすい曲です。でも64年にもなってこの程度では先がありません。

16曲目、MEV(Musica Elettronica Viva)は学生の頃 NHK-FM の『現代の音楽』で聞いたような気がします。当時の用語で言えば、ライブエレクトロニクスでしょうか。ケージの影響を受けてるようですが、良く知りません。この曲は67年だそうですが、60年代後半のムーヴメントに合致しているように聴こえます。しかし、さほど古びてはいません。

<2枚目>
2枚目は59-70年で、この3枚組CDの中核といえます。

4曲目に、湯浅譲二のプロジェクション・シリーズから、64年のエセンプラスティックが選ばれています。今聴いても古びていません。当然フィルタはかけてますが、ホワイトノイズだけでこの緊迫感。後の『イコン』に通ずる佳品です。
冒頭と末尾の鈴虫の鳴くような音色、間の取り方、自然に任せるかのような時間の伸縮法に日本的感性を感じますが、音楽としてはインターナショナルです。

6曲目、デイヴィッド・チュードアは演奏は聴けども作品を知らず、でした。彼ほどの演奏家が曲を作らないとは考えられませんが。
タイトルが "Rainforest" なんですが、そのイメージ通りの音響です。情景描写したのか、作った音がタイトルを連想させたのか分かりません。

12曲目。ヤニス・クセナキスは『ヒビキ・ハナ・マ』です。70年万博の鉄鋼館のための音楽。膨大なトラックとスピーカを処理してます。当時の技術では大変な力技だったでしょう。力技の好きな作曲家でもあります。
クセナキスは楽器を使った曲の方が良いと思いますが、彼の電子音楽にはあまり強度を感じないので、その分親しみやすさはあります。でもこれを均一大音量で聴かされた日にゃぁ...

『ミニマリスト』に分類される、スティーヴ・ライヒとテリー・ライリーとラモンテ・ヤングが入ってるのですが省略します。ここにあるのよりもっと良い曲がありますしね。ライリーのはポップな "A Rainbow in Curved Air" の背景音みたいな曲です。

<3枚目>
72-80年です。クラウス・シュルツが入り、ブライアン・イーノで〆られています。どうやら、90年代以降のポップスの流れをにらみ、そこから遡って編纂しているようです。

ベルナール・パルメジアーニは単調な連打で始まり、時々様々なノイズが割り込み、しだいに音響が多層化していく77年の曲です。

ロバート・アシュリーの78年の曲は、声を変調したのか作ったのか、背景の具体音と共に不思議な空間を作っています。ジャズのベースのようなノートがずっと鳴っています。タイトルが "Automatic Writing" なんですけど、男女の(変調したのか?)囁き声といい、映画/演劇的なパフォーマンスを想像します。

こうして3枚、42曲をほぼ時系列で通して聴くと、年々歳々、1音1音が練られ、コントロールが行き届き、『音楽らしく』なってきたことが分かります。もちろん、音響的な複雑さも進化していきます。
電子音が驚異の音空間を切り拓いていった、古き良き時代の終わりです。

<DVD>
オマケなんですけど、知らない名前が沢山あり、結構楽しめました。

ジョン・ケージの映像と音は、未だに緊張感があって良いですね。本人は映像的に変調されてても貫禄がにじみ出ています。
ナム・ジュン・パイクのビデオ作品に出てくるヒッピーおじさんみたいなケージも、肩の力が抜けてて実に良いんですけどね。作品よりも人間かもしれませんね。アメリカ人の誇りですよ、ケージは。アメリカ人にそう思ってもらいたいものです。

ジャン-クロード・リセの音は、科学教育映像に付けた効果音のようで、時代を感じさせつつも、エスプリの効いたセンスが光ります。この音色と音使いは子供の頃から耳に馴染んでる気がします。

モートン・スボトニックは映像も音も60年代的な面白さがあるのですが、作品性の無さが無方針過ぎます。個人映画をある程度観てきた人間には、映像にセンスの無い愚作と映るでしょう。

クセナキスの『ボホール』は、本当に久し振りに聴きましたが、時代と隔絶した音響作品です。こうやって聴くと『響き・花・間』と構造はともかく響きが似ています。
どこまでが具体音か分かりません。エコーのかかった多数のガラスや金属の散乱する音響の背後に、金管のようなバス音が鳴り響きます。古代の音楽を未来に多層的に発展させた音響のようにも聴こえます。iTunes のビジュアライザに使えそうな映像は、音響と完全同期はしていないものの、なにかの規則に従って連動しています。

このDVDには、何人かへのインタビュー、モノローグ、解説付きの実演、MTVの走りのような映像と音楽などがぎっしりと詰まっています。
多数のスライダー付キーボードを神経質そうに演奏するローリー・シュピーゲル女史。ディレイなどに因る同音反復を重ねた音楽です。
ジョン・チョーニング(?)による、黄金分割とフィボナッチ数列を使った曲の詳細解説は70年代でしょうか? 3次元動的グラフでのプレゼンまでしています。
ポール・ランスキーのアニメ(ゴミとホコリの化身のような主人公は実写なのでしょうか?)、ロバート・アシュリーのジョージ・ワシントンのパロディ、マックス・マチュースの人体パフォーマンス、マザー・マラードのテリー・ライリー風ポップス等々がごちゃ混ぜになっています。
〆はわざとらしくもロバート・モーグでした。比較的新しいモーグ・シンセサイザのようで、音色が多様で音もきれいな感じがしましたが。

それにしても、時代が新しくなるにつれ、繰り返しの催眠効果を狙った音楽が多いことに驚かされます。電子音が使いやすいのでしょうか? もしかするとアメリカ人の曲に多いのか? 楽音、音色、響きの拡張と引き換えに単調さを選んだのでしょうか?
戦後のトータルセリエリズムに代表される繰り返しの無い緊迫感と、反復・繰り返しだらけの瞑想的な音楽との距離には、伝統楽器の奏でる音色と、無機的で時にユーモラスな電子音との差異以上に、大きな溝を感じます。

それにしてもこのDVD、2時間半もあります。お徳用とは言え、当分観ることはないでしょう。

こうして古き良き時代の電子音楽、電子音響、ライブエレクトロニクスなどを聴いていると、70年代までの当時夢見ていた未来の音響、未来の音楽は別の世界に行ってしまったのだろうかと訝しみます。

音色だけではなく、一音一音のコントロールが困難だった時代、電子音楽スタジオがとてつもなく高価で巨大だった時代によくこれだけの音を、そしてここには入ってない数多の音響世界を創り出してくれたものです。モーグの時代になってもまだ高価でしたからね。

コンピュータも黎明期でした。2万本の真空管からできているENIACから始まり、巨大なメインフレームの全盛時代、DECのミニコンの台頭、そして最初のパーソナルコンピュータ AppleII が生まれた時代までと、電子音楽の進化とは並行しています。
80年代以降の大衆化に向うコンピュータと電子音楽の命運とは、正確にオーヴァーラップします。当時まで、交錯するポイントは多くはなかったにも関わらず。

それにしても、懐かしくも歴史の彼方に去った変革の時代のなんと短かったことでしょうか。
しかし、1980年代に既に電子音は、さほど大衆の意識の端に上ることなく拡散し、世界に偏在していきました。ICタグより先にユビキタスを達成したのです。
電子音が空気のように当たり前になった時、あの、未来を切り開くと思われた先鋭な音世界は過去のものになったのでしょうか。手元にあるCDとDVDとにパックされているように。眼が消滅した後に残された眼差しのように。それならば、寺山修司が言ったように、未来は過去と同義語です。
事実は多分そうではないのです。音色世界、音響世界を極限まで拡張した電子音とその音楽は、19世紀的な楽音や音楽と同じように、音楽史の中に安定した地位を占めたに過ぎません。それは音風景の中に溶け込み、他と区分されません。
先鋭な精神はいつの時代にもありましたし、これからも生まれ続けるでしょう。それがサクリファイスであるにしても。
その極端で典型的な例をコンパクトに示してくれた点で、このCD+DVDは価値のあるものでした。
そのような意味で、人類を信頼できるというのは幸せなことです。おそらくその時、未来は過去形の追憶ではなく、未来形の希望になるのだと思います。


付記:
それはともかく、このパッケージはアメリカ人とアメリカ的な音楽に偏り過ぎですね。亡命した人物もいるけれど。アメリカのレコード会社の企画であるにしても、"The Early Music Gurus"と名付けるなら、もう少し何とかならなかったのかと思いました。


【メモ】
『未来への追憶』はオスカー・ドミンゲス(Oscar Dominguez)の絵の邦題から取りました。ローティーンの頃見た現代美術の本に載っていたのですが、借り物だったので原題を確認できませんでした。サイトを探したけど見つからず。

OHM+: The Early Music Gurus of Electronic Music - 1948-1980
アマゾンで試聴できます。ぜひ聞いてみて下さい。
http://www.amazon.co.jp/OHM+-Early-Electronic-1948...

OHM- The Early Gurus of Electronic Music:チラッと読んだ限りでは面白そうな解説が載ってます。
http://www.furious.com/PERFECT/ohm/

ENIACが最初のコンピュータかどうかには異説があることをご存知の方も多いでしょう。↓ここのカスタマーレビューの議論が面白く読めます。
http://www.amazon.co.jp/ENIAC%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3...

 現代音楽 古楽 作曲家 ヴァイオリン(バイオリン) ピアノ


日付:2007年05月02日

26件のコメント

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このブログ(日記)へのコメント

Shigeru Kan-no

いやー、凄い文章量ですね。ご苦労様でした。読むだけでそのDVD一枚全部を見た感じです。

電子音楽の歴史CDというと友達のDoppelgaenger・レコードも最近NHKから頼まれて出したとか?

いまやPCで素人も製作できる電子音楽。もう何でもありの時代。この先どうなるか?全くわかりません。

しかし自分もここに環境音楽IとIIを作ると宣言して作っていませんね。頑張らないと!

2007年05月02日 06時03分31秒

とっち〜(Totti+81)

Kan-no さん、どうもご無沙汰です。
あれから、別テーマで現代音楽について書く予定でいたのが、文章に詰まってしまったんです。
そこでつなぎに軽く書くつもりで "OHM+" を買ったのですが、結局こうなりました。これでも、かなり削りました。全曲にコメントしてたもんで。(^^;;
結局、流しながらですが5回ぐらい聴きましたよ。DVDは1回だけど。
しばらくこのディスクは聴きたくありません。

ま、Kan-no さんと yoc さんは読んでくれるだろうと思ってました。というより、ご両人を意識しなかったら、こんなに長い現音についての文章は Muse のブログには載せなかったでしょうね。一応、Muse 向けの書き方にはしたつもりですが。

ところでその『環境音楽IとII』期待してますよ。CDかダウンロード販売できませんかね?買いますから。

次のブログは短くします。予定では、ここに出てきた名前のうち2人について書くつもりです。
では。

2007年05月02日 11時49分49秒

Shigeru Kan-no

ブログは長くとも問題はないと思います。どうぞ思う存分書いてください。ただ電子音楽となると楽譜がないのでちょっとコメントしづらいですが、私たちでここの現代音楽を盛んにしても良いと思います。

2007年05月02日 16時26分02秒

とっち〜(Totti+81)

5月6日まで休みなので、現音について2つ3つ書いてみようと思ってます。タイトルだけはいくつも作ってるんですけど、筆が進みにくくて。
それ以外に1つ2つ、軽い話題も書くつもりです。OHM+ について書いて疲れましたから。
古楽かジャズにしようと思ってます。古楽ファンやジャズファンには現代音楽好きがわりといましたから。ロマン派〜古典派一辺倒の人間より、耳が開かれてるんじゃないかと思います。ただ、マニアックなジャズファンには排他的な人間もいましたが。
古楽は楽器や奏法が違うし、研究が進んだにせよ、創造する部分が多いと思います。そのあたりで、ファンの頭も柔らかいんじゃないかと。
世俗曲か宗教曲かで違うかもしれませんけどね。

ともあれ「現代音楽も結構良いね」と言ってくれる人間を増やしたいですね。ただ、多様性と時代性が悩みです。最初にどんなのを聴くかが、その後耳を開くか閉じるかに影響しそうで。

2007年05月02日 18時41分28秒

マ・ノントロッポ

ジョン・ケージーとかシュトックハウゼンぐらいしかわかりません。勿論、メシアンは知っているし聴いていますが。
是非、ジャズのほうも書いてください。
 
この世界は、私にとっては未知の世界ですね。勉強しなくては!

2007年05月02日 22時30分18秒

とっち〜(Totti+81)

マ・ノントロッポさんもご無沙汰です。

当方、連休に入ったのに、相変わらず自分のブログの面倒しか見られてません。(自爆)●〜*
昨深夜、10日ぶりに記事をアップしたあと、チト細かな文言を修正しながら聴いてたのは、さすがに軽い音楽です。ウェス・モンゴメリーとジョー・パスの再発売もの。ジャズ・ギターです。ここ1〜2年、古いジャズギタリストを探訪してるんです。少しずつだけど。
パスは学生の頃から聴いてたんですけど、ウェスは既に早世してたことや甘い印象があって聴いてませんでした。

"OHM+" に出てくる名前を全部知ってたら電子音楽オタクです。安心して下さい。私も半分程度しか知りませんでしたから。名の通った作曲家は1/3ぐらいではないかなぁ?

現代音楽は実に多様なので、却って私のように、正規の音楽教育を受けてないけどいろいろ聴くのが好き、という人間の方に向いてるような気がします。
耳が調性とか、固定的なリズム、メロディ、ハーモニーに慣れきっていたり、古典的な形式感に囚われていると受け入れ難いと思いますね。
様々な響きや音色、奇妙な時間感覚、不思議な空間感覚などなど楽しむ要素はいっぱいありますよ。新鮮な音響体験の宝庫です。
てっきと〜が良いんです。いろいろ聴いてると好みもできてきます。
ただ、作曲者の考え方は大事です。分かりにくいことが多いんですけどね。(^^;;

実は、僕は長いこと現代音楽ばかりか、様々な芸術からも離れていて、浦島太郎状態なんです。ここ1〜2年、少しずつ回復させようとしてる段階です。リハビリですね。
だからこうして書くことも、新しい潮流に接するための準備運動のようなものなんです。美術や建築や文学についても書きたいのですが、余裕がないので音楽に絞ってます。

今日は、現代音楽のCDを何枚か聴いてます。どれをブログに書こうかなと思いつつ。
僕のスタンスは、徹底して素人であること。素人の耳にどのように聴こえ、何を感じ、思い、考えるかを書くつもりです。知識は、理解し、書き易くするための道具かガイドラインに過ぎません。頼り過ぎると書いている自分がどこにもいなくなりますね。素人には危険なのです。

2007年05月03日 00時20分25秒

Shigeru Kan-no

文章はここは気軽に書いていいと思います。CDの感想も何でもいいですよ。全部一行ずつ書けばいいでしょう。ほんとに私たちが欲しいのは現代音楽のネタです。間違っていたらみんなで協力して直しましょう(笑)。今日はケルン・トリエンナーレでこれから梯子でサキソホーンのコンサート聴きに行きますが、感想は明日貼っておきましょう。

2007年05月05日 18時54分45秒

とっち〜(Totti+81)

お忙しいのにどもです。トリエンナーレって美術だけかと思ってました。(^^;;
サキソフォンのコンサートですか。現代音楽ではサックスは良く使われるのですか?ともあれ、久々のブログ期待してます。

『ネタ』ですか。材料だけならいくらでもあります。ただし古いけど(笑)。
先日、yoc さんの本家(?)ブログにお邪魔しにいったら、現代音楽のCD評が70ぐらいもありました。そのうち1/3ぐらいは私も持ってるんです。ロックがメインだと言ってたくせに、ヤラレタ!と思いました。(大笑)
それはともかく、初ブログで大分硬くなってるので、書き方・出し方はこれから工夫していきます。文章が苦しくなったら、CDのネタ提供のみで逃げるかもしれません。(笑)

ではまた。

2007年05月05日 20時05分21秒

Shigeru Kan-no

昨日のサックスのコンサートは以外と収穫でした。後で自分のブログに貼っておきます。

同じCDでも古くとも人が違うと感じ方や考え方が違うので書いていただけると面白いです。要するにネタの供給に関心があります。

僕はもうCDの批評は好意でもらった物しかしないので、最近はオペラ・コンサート評のみです。

2007年05月06日 17時09分09秒

とっち〜(Totti+81)

久々のブログ記事ですね。後で読ませていただきます。

私の場合は、古い記憶の方が新鮮かもしれませんね。ただ、大分忘れてます。ブランクがなかったらもっと出てくるんですけど。
学生の時、友達と言ってたんですけど、普段話題にしてしゃべってることって直ちに出てくるけど、長いこと話題に出してないことは、単語が出てこなかったりするんです。
1〜2年前からリハビリを開始したので(笑)大分マシになってきてはいますが。
オマケに、外に向って書くことに慣れてないですね。20代前半まではこんなことはなかったんですけど。
まぁ、それもリハビリのうちです。そのうち良くなるでしょう。(笑)。

2007年05月06日 23時49分29秒

Shigeru Kan-no

そういうことは特に区別していません。何でも書いてください。こちらも答えられる限り書きましょう。

2007年05月07日 00時30分47秒

とっち〜(Totti+81)

なんか重複アーティクルの削除が上手くいきません。
また来週にでも直しておきます。

頼もしい励ましのお言葉、感謝します。

これでも、学生の頃は、ロマン派・古典派を除いては(^^;;)、音楽史の知識では絶対にピアノ課の女子大生には勝てると思ってました(相手は勉強してないから当たり前ですが;笑)。
でも、作曲課の学生には絶対に負けると思ってました(笑)。芸大かどうかなんてのはともかく、現音の作曲やってる人はレベルが全然違います。話にならない。
草サッカーとブンデスリーガ程度にはレベルが違います(笑)。

去年、音大ピアノ科出身のまだ十分若い女性に音楽史の話をいろいろする機会が、しばしばあったのですが、大学の音楽史の先生の話にそっくりだったそうです。勉強してない子ですね。
ましてや現代曲では勝負になりません。相手に合わせて説明しましたが。

ただし、ロマン派・古典派の楽曲アナリーゼとか、調性的な耳の出来とか、細かな技術論では多分絶対に勝てませんが、そこは隠しました(サギですね;笑)。多分、耳はあっちの方が良かった(大笑)。耳の分解能も大幅に落ちてますし(泣)。
しかし彼女は言葉での表現力がなかった。センスは非常にあったんですけどね。

2007年05月07日 02時14分38秒

Shigeru Kan-no

僕もブログの記事はかなり適当で見直していませんね。何事も気楽に行きましょう。

日本の楽器の方は大方楽器そのものしか出来ないので全然話になりません。日本の音大の教育ましては文科省の教育のやり方がめちゃくちゃなのです。こういう意味で普通の大学出の方の方が知識はあるし、話していて面白いです。

2007年05月07日 05時26分43秒

とっち〜(Totti+81)

ゴールデンウィークも明け、今日から仕事です。
疲れが異常にたまっているので会社の近くのホテルに泊まってます。インターネットの当日予約で、質の良いホテルに通常の半額程度で泊まれる時代になり、助かっています。シングル料金でいつもツインにアップグレードしてくれます。馴染みの老舗ホテルなんです。
さっきまで仮眠していました。シャワーを浴びてリフレッシュしたところです。
今は、近くのインターネットカフェで書いてます。小奇麗で料金も格安で、便利です。

さてコメントいっぱいありがとうございます。問題・課題だらけですね(笑)。
「楽器そのものしかできない」とは手厳しいけど、事実なら芸術家なんか育ちませんね。
文科省は自然科学にもとんでもない悪影響を及ぼしています。昨年からだったかな、国立の研究機関が独立行政法人化したのです。大学は国立大学法人。要は会社みたいな経済性の追及です。みな一斉に金になる研究になびきました。正確には金になりそうな研究ですが。
つまり、日本の自然科学の基礎研究は危機に陥ったのです。10年後は危ない。これには、利潤追求の企業の側からさえ危機感が生まれています。(旧)国研や大学がやらないでどうするというんでしょうね。
大学の教授、助教授は、企業と提携(共同研究)しようと積極的に接触するようになりました。研究資金がほしいのです。構造的に変化してしまいました。
しかも中途半端。金にはならない上、基礎的な価値もない研究が増えてるはずです。でも予算申請にはいかにも経済性があるようなアピールに努力してます。
主に工学系の話ですが、以前の方がはるかにマシでした。
多分、理学系、医学系とかでも同じじゃないですかね。
文科系なんかどうなってるんでしょうね? 文学部なんかには頑張ってほしいんですけどね。元々国際競争力なんかないので、不安ですよ。
芸術系の大学も大いに心配ですね。美術系も音楽系もどうなってるのかなぁ?

2007年05月08日 01時38分27秒

Shigeru Kan-no

日本のインターネットカフェって泊まれるんですか?日本に言ったらやってみたいです。

「楽器そのものしかできない」とは手厳しいけど、事実なら芸術家なんか育ちませんね。
・・・・・・・・・・・・・・・
その通りです。育ちません!

まあ大学は研究も必要です。問題は基礎研究をどう評価するかでしょう。これは絶対評価して予算を付けなければなりません。日本がアメリカの真似をしても民間会社がアニマルなので絶対寄付は集まらないですね。音楽と全く同じです。結局政府がやらないといけないのですがこの借金じゃどうしようも出来ないですね。まず選挙制度を徹底的に改革して比例代表制のみで族議員を完全に無くす。もちろん出費の徹底節約も必要ですが増税も避けられないですね。文科省は社会保険庁のように責任を持って完全に解体し、地方にそれぞれ独立した文科省を置けば良いでしょう。

2007年05月08日 06時04分36秒

とっち〜(Totti+81)

インタネカフェは泊まれますね。正確に言うと、昔の映画館のオールナイトの個人版みたいに思えるんですが、ブースで区切られてるので環境はずっと良いですよ。飲物はタダで、有料ですが簡単な食事も頼めます。味は保証しませんが安いですね。
最近の店は、共同ですけどシャワー付きが当たり前になってきてます。フリーターやりながらインタネカフェを泊まり歩く、若い女の子や男の子がいるとかで、社会問題になりかけですけどね。
僕は椅子がリクライニングか、マッサージ機になってるブースをよく使います。近い店でも会社からちょっと歩くので、昼寝には使えませんが。
手元のパンフでは、「ナイトパック」という名称で、5時間パックが980円、10時間パックが1960円です。簡素な席、例えばオープン席だともっと安くて、それぞれ780円と1560円です。驚くほどの安さです。若いサラリーマンが、終電乗り遅れたら使うのもうなずけます。ナイトパックがあって男女のエリア区分なしというのも変ね気分ですけどね(ナイトパックだとあるのかなぁ?)。
使った範囲では、どの店もバイトの若い子たちは応対が丁寧だし、感じいいですよ。店もきれいなとこが多い。図書館並に静かですしね。BGMかかってる店もありますが。
今のタイプは漫画喫茶と一緒になってるんですよ。マンガ読みに来る人間も多い。だからある意味図書館なんです。
大阪駅周辺で3カ所ぐらいを時々使うんですが、同じようなシステムですね。値段も同じくらいでしょう。同じチェーン店でも場所によって若干違いますが。
リスクを避けたいなら、簡単な身分証ですぐに会員証を発行してくれる所の方が、安全度が高いかもしれませんね。身元確認なしでナイトパックできる店もあるんです。ダイヤル金庫はたいていついてますよ。

基礎研究は絶対に大事です。そういうとこにこそ国力が現れます。税金を投下すべきです。これつぶれたら、科学も産業も、多分人々の生活も駄目になりますよ。無駄なようでいて、根幹を支えているんです。
地方の独立文科省というのはドイツ的で面白いですね。それが実行できるメンタリティや思想が日本人にあれば、有効なんですけどね。
Kan-no さんの話には、しばしばドイツの底力を感じて面白いし、参考になりますよ。

2007年05月08日 23時09分23秒

Shigeru Kan-no

「10時間パックが1960円です」というのは個室でネットができて泊まれるということですか?シャワーも使えるのかな?だったら普通のホテルどころか馬鹿安でしょう。

大阪ですか?関西の方かな?僕もたくさん友達がいますけどみんな軽いですね。例外の人もいるんでしょうか?

問題は基礎研究をどうやって評価するかでしょうね。ノーベル賞取ってから文化勲章は、格が違いすぎてどう見てもおかしいですね。

2007年05月09日 07時08分35秒

とっち〜(Totti+81)

金曜は深夜まで飲んで、インターネットカフェに泊まりました。初体験です。2時頃行ったのですが、畳の席は満席でした。毛布とか、ビーズのクッションとか貸してくれるんです。
今回泊まったのは高い店で、10時間3120円だったかな?これだとカプセルホテル並の料金ですね。でもきれいで設備の良い店です。シャワートイレの蓋が自動的に開く機構は急速に普及中です。欧米には全然売れないみたいですが。メンタリティの違いを感じます。
リクライニングシートを水平近くにできたので、まぁ眠れました。天井無しのブースなので、照明がまぶしいのが欠点です。アイマスクがあった方が良いですね。
PCは安価な Dell です。パフォーマンスは良いけど。モニタも CRT。一般にCRTの方が液晶より画質は良いんですけど、湾曲してて見にくい(^^;。キーボードとマウスが使いにくいのが不満です。

大阪人が「軽い」という表現には初めて出くわしました。その観点でマン・ウォッチングしたくなってきました。大阪人限定ではなくて、関西人全般のことなんですか? 軽いのかなぁ?
ちなみに、僕は関西人ではありません(笑)。10代までに引越7〜8回、東日本と西日本が半分ずつでした。東京なまりの北海道弁を喋ります(笑)。土地との結びつきは希薄です。
大阪はここ4〜5年です。昔、京都にも同じくらいいましたが、西日本が長いので難しい質問ですね。
純正大阪人が典型ですが、サービス精神が旺盛だとは思います。人なつっこくて愛嬌がある。でも距離はきちんと保ってます。上手いですね。そこが大都市人間かな? 大阪人は、東京人よりも名古屋人と合わないと思います。
大阪人は、重い話、ハードな話を嫌がるかも分かりませんね。すり抜けるのか、避けて通る処し方を身に付けているのかもしれません。
基本的にカッコつけませんね。気取らない。そしてそう見られるのを嫌がってると思います。だからフォームが崩れる。フォーマットが大阪弁なんでしょうね。
京都人はソフトで洗練されてるけど、壁があります。純正大阪人で、京都人や神戸人を嫌う人間はいます。お高くとまってるように見えてるようです。育った地域や階層の差も大きいと思いますが。もちろん、個体差も大きい。
ちょっと類型化しすぎたかもしれません。第一、答になってませんね。(^^;

反射的に思ったのは、絶体絶命の時「駄目だ!」と言うとホントに落ち込んじゃうけど、大阪弁で「あかんわ」と間延びして言うと軽くなるんですよ。大阪弁フォームと『軽さ』とは一体化してるのかもしれませんね。

『例外』は難しいけど、僕が付き合った範囲で、関西在住の『軽くない』人間は、純正関西人ではなかったような気がします。関東育ちの人間もいました。
逆に、ハードな性向を持ってる人間は、冗談の好きな人間でも、関西を離れる傾向にあるように思います。もしくは浮いてるかもしれません。
個人的で狭い範囲でのことだから偏ってるんですけどね。
これ、テーマになりますね。ものすごくいろんなことを考えましたよ。

2007年05月13日 03時14分37秒

Shigeru Kan-no

ネットカフェの泊りって要するに相部屋なのですか?それとも個室、アコーデイオンカーテンで仕切るぐらいの半個室?いずれにせよこちらでははやらないでしょうね。仕事で遅くなる人がいません。あのトイレはこちらのTVで日本の7不思議として紹介しましたが売れないでしょう。なぜかというと値段が高くなるからです。それだけ!

関西人の性格は東日本の人と比べてのはなしです。ここで言ったらドイツ人とイタリア人ぐらいの差はありますね。もちろん例外はたくさんあります。たとえば普通Scarrinoは真面目で冗談一ついわないですね。でも笑ったことが一回だけ。Stuttgartのオペラで彼の新作を解説したのですが。どう言うわけか通訳のイタリア人がつっかえて間違ってばかりいるので、本人がすかさづドイツ語に訳して言い直しましたね。

2007年05月13日 03時33分58秒

とっち〜(Totti+81)

相部屋ではありません。2〜3人用の部屋もありますが、標準は一人用です。
硬い壁で区画はされてるけど、簡単な工事で作れる壁です。何と言うのかなぁ?本格的なものではなく、ドアも簡易型です。『半個室』と言えるでしょうね。空間的には部分的に開かれているので、欧米人には、日本慣れしてないと泊まりにくいと思います。起きてて使う分には、十分な個室機能があります。
客層は学生やフリーターが多いように思います。スーツ姿は少数派ですね。

シャワートイレの話は笑いました。発明・開発元のTOTO社が欧州進出に失敗した話を、以前聞いたんですよ。日本人の清潔志向がバブル期あたりから極端に走っていますが、それを象徴する発明品ですね。
でも、公衆衛生や軽度の介護面では役に立っています。今後、介護ロボット的な発展型が出てくると予測しています。

関西人は、大ぐくりでの話ならラテン的な陽気さが特性のように思います。中でも大阪は関西でも特異な存在です。実際に接してみると、予想と違った面も大きいんですけど。
例えば、日本のTVでは、吉本新喜劇が大阪人というか関西人のイメージをまき散らしてますけど、あれを嫌う純性大阪人が思いのほか多いのです。TVの特性とは言え、あまりに極端だし、ステロタイプなイメージを垂れ流してますからね。実際ははるかに多様です。

一般論ですが、関西人、特に大阪人には、過剰なサービス精神を感じます。深刻な話題とか態度を忌避しますし、論理的に追求することもしませんね。情が優先するのでしょう。その意味での接し易さはあります。

2007年05月13日 15時41分08秒

Shigeru Kan-no

僕も昔東京の新聞屋時代一部屋をアコーデイオン・カーテンで仕切った半個室で生活してましたね。いびきのうるさい人が来ると寝むれなかったです。そこのネット・カフェーもそうとこはありませんか?カフェーというよりもネット・ホテルですね。

吉本興業のお笑いは凄くとっつきやすいですね。かえって東北人が漫才などやると重くなって面白くないです。

でもその過剰なサーヴィス精神は結局お金は欲しいという、ケチな文化から来ているのでしょ?ヨーロッパにもけちで有名な民族はあります。スイス人やシュヴァーベン人です。でも世界どこでもけちだと言うと相手の答えは決まってますね。「無駄なお金を使わない」の一言です。でもどこでも南の人間は一般に浅くて軽いですね。親しめる、でも本気になって話す相手ではない。それが結婚にも影響しているのでしょうか?ここの関西人も東日本人よりも独身者が多いような気がします。

2007年05月13日 17時41分05秒

とっち〜(Totti+81)

いびきはあるかもしれませんね。先日は気にならなかったけど。
最近は『ネット難民』、要するに若年層で定住せずにネットカフェを泊まり歩くフリーターの話題が関心を集めてます。その辺りで口コミで情報を集めてみますよ。


西日本在住者としては言いにくいですね。(^◇^) kerakera
考えてみたら、僕は長じてからはずっと西日本在住なんですよ。先々週まで気がつきませんでしたが。慣れとは恐ろしい。(^^;
確かに、ケチ、どケチ、しぶちん、ゼニ、とか単語まで何かと西日本発だったり、関西圏にまとわりついてますね。

で、日本の東西を日本アルプス(北アルプス〜南アルプスの稜線)で分けて定義します。感覚的にはこれで正解です。
確実に言えることは2つですね。体験的には間違いないです。

1.東日本の人間の方が、お金に対して大らかである。鷹揚かな?
2.西日本の人間の方が、日常会話でお金に関する話題が多い。
  また、意味もないのに、お金に還元した表現に転換することが多い。

これらの逆の表現をとると、ちょっと違うのですが。
お金の話題を東日本人がする場合は、数字として形式的に扱って、ドライなことが多いですね。西日本人は、特に個人の小額のお金について、数字の裏にべったりとした情感や情念が張り付いているのを時々感じます。自分自身との関係において、お金の記号性を機械的に切り離せないのでしょう。個人差や階層差、育ちの差、ごく狭い範囲での地域差は大きいですけど。

商売人(商人)については、親しげな態度は買わせるためと感じることがよくありますね。一流とされるデパートでも不快感を覚えることがあります。西にあっても東日本資本だとそうでもない。
巨大メーカーで、買値を叩くとか下請け(差別的らしいです)を叩くと話のネタになるのは、多くは西日本の企業ですね。東の企業はあまり聞かない。体質が反映されているのでしょうか。
「無駄なお金を使わない」ことが価値判断の基準、というより体質化されているように感じることがあります。個人レベルでも、その基準で相手を値踏みする傾向がありますね。
お金に関する『無駄の効用』や『遊び』は認めない、理解できない人間が西には多いと思います。それもごく低レベルでの話でです。

良くも悪くも西日本人は個人レベルでのコミュニケーションにおいて、型、立て前、フォーム、壁、こうしたものが無いか希薄です。あるいは東日本人とではその材質や機能が違う。だから西人の方が東人よりとっつきやすいのでしょう。
逆に「なに、カッコつけてんのや」とか口や態度に出されたり、思われたりした経験は多いですね。体質的な感情レベルでの崩しが入ります。
でも本気で話をする時、立脚点をはっきりさせなくちゃならないでしょう。でないと対話も論理も無いし、深まらない。客観的に物事を見れなくなる。西人はそこがふにゃふにゃで弱いんですよ。全部自分の感情や体感にベタで態度に表れることが多いのです。
総体的に言って、客観的な話がしにくいのは西の人です。多くがミクロな利害関係(精神的なことも含めて)に還元されてしまいますから。

実は、先々週、西の人、特に関西なかんずく大阪では人間関係において『情』があるのではないかと、統計データを探していたのです。西では、東京人は冷たいとか関西は情があるとか言いますし。ちょっと擁護してやろうかと思いました。で、探したのは都道府県別の自殺率です。結果は逆でした。(爆)●〜*

図録都道府県の自殺率 2002年
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/7340.html
 ※個人サイトがまとめた資料ですが信頼性はあると思います。
  信頼性の高いサポートデータは後日探しておきます。

地方は、過疎県ではその影響がもろに数字に出るので異常データ扱いするべきです。雪国も他条件が強くなるので同じ。この辺りをどう捉えるかで東西判定は逆転します。

問題は判断しやすい巨大都市圏です。その典型である関東は東京・神奈川と関西=京阪神=京都・大阪・兵庫とを比較します。人口=母集団の大きさなどからも両者の比較は適当です。
結果は、人口10万人当りの自殺者数は、東神奈が20〜21人、京阪神は25人前後なのです。明らかに京阪神が多い。
 ※上記ページのグラフ上の数字は、グラフと一致しません。
しかも大阪に顕著なんですけど、経済要因が大きいんですよ。東京はむしろ低い(相対的に)。
考えたことは以下の通り。

1.京阪神は東神奈よりも制度的な(日本で言う)セーフティネットが弱いのではないか。
2.経済的要因と言っても、自殺するかどうかは最後は精神的な問題である。その面で支える知恵や仕組みが弱いのではないか。

全くの仮説ですけど、京阪神では『情』のネットワークはできていてその中では助けられる人は多い。地縁血縁の類いや利害関係で結びついた集団です。しかしそこから漏れる人々に対しては薄情なのではないか。これが強い疑問ですね。西日本全部に拡げられるかもしれません。
特に大阪で目立つのがホームレスですが、シート小屋もないホームレスが多いと思います。

「本気で話せる」ことの結婚への影響は考えたことがないのですが、関西の女性は、関西的なサービス精神のある男性を好む傾向が強いと思います。また、硬い話や重い話題は好まない。客観的な話題の扱い方をしないのだと思いますが。
ま、昔から、女性はその傾向が強いと思いますけど、東西比較ではそう思います。だから関西人同士の男女は合うと思うのですが、東男に京女とも言いますね。(^^;

90年代以降は、ことに時代や世代の影響と交絡するので判断しにくいですね。大都市圏ほど男女共に結婚年齢が上昇しているのは体感してます。
都道府県別の結婚データは今のところ見つかっていません。世代や男女で切り分けてる資料はたくさん出てくるのですが。マーケティング上必要なはずなんですけどね。見つかりにくい。

Muse 内でどうなのかは全くわかりません。僕は、他のメンバーのブログをほとんど見てないので情報量が少なすぎるのです。今、読んでてコメントをつけてるのは Kan-no さんのだけなんですよ。(自爆)●〜*
初期にはコメントくれた人のとか見てたんですけど、合わせても8人ぐらいです。今、ほとんど見てませんね。HOME やブログの紹介ページの流し読みはしてますけど、それだけでは分かりませんね。
ま、僕のブログが安定したら、他のメンバーのも読んでみようと思っていますが、今は余裕が無いですね。

2007年05月20日 21時57分40秒

Shigeru Kan-no

あらあら凄い分量ですね。全部答えられるかな?このPC3時かけて開けたと思ったらもうTVの時間で閉めなければいけない。関西の事良く観察しておりますが、その通りですね。

2007年05月20日 22時55分54秒

Shigeru Kan-no

この文章だけで論文がかけますね。僕は昔から典型的な東日本の人間なので話が真面目に本音で堅くなりますね。でも僕も人に合わせるのも上手いので関西の人ともなんかかやっていけるのですが、最後にはどうでも良くて全然印象に残らないので忘れますね。まあ書くのは余裕がある時だけでいいでしょう。どこにも強制はないし書きたい時に書けば良いし。ただ僕はすぐ書かないと必ず忘れるのでできるだけすぐ書いていますが。

2007年05月20日 23時04分16秒

とっち〜(Totti+81)

なんか、このアーティクル、やたら伸びまくってますね。(^^;;

西の人って、ストレート玉を投げませんね。しかも、受け止められないように思います。
癖球ばかりというのではないけれど、キャッチボールの法則が違うんですよ。
大道芸のジャグリングをやってる人と、野球のキャッチボールをするようなもんじゃないかと思います。
(今回は短かった)

2007年05月23日 22時12分54秒

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