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自分が演奏家として
人それぞれ自分の演奏テーマがあると思う。
自分なら
「愛」を歌う
愛といっても
エロス、フィリア、ストルゲ、アガペー
日本には区別がないが
たいていの人は
エロス的に、エロかわいく
フィリアやストルゲのように叙情的に人間味をもって
演奏するだろう。
私もそうだ。
しかし、クラッシックの世界にいる人間は
どんなときにも
精神的な思い、宗教心、人間の心を超越した愛を演奏することを求められる作品が多くあることは見逃せない。
たとえば
モツレクの「Dies irae 」を歌うとする
その人が無神論者の演奏者だったら
せめて「アリ地獄」を創造するか、その音楽の流れのままに歌うか。
その人が多神教者の演奏者だったら
私にはヨロズの神が助けてくれるから大丈夫っていう思いでホンワカした感じで演奏するか。
その人が最後の審判の来る日をもう目の前に来てるのではないか!と思っているとするならば
その演奏はすさまじい表現力と現実味がまざまざと現れてくるのではないだろうか。
私はそんな中でも「愛」を歌いたい
最後の審判は必ずある
しかし
そのゴールには永遠に輝く都がある
愛の根源がある 平和がある
次々と演奏されていく内容がそうだから
自分の理想ですわ
一人走りでも難しいけど
声楽 指揮・作曲 邦楽器