hiroさんのブログ(日記)〜クラシック音楽の総合コミュニティサイト Muse〜

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忍びの歌

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昨日の夕方です。

僕が所属しているクワイヤのメンバーで
とても親しく
いろいろな事でお世話になった
一人のご婦人が天国へ帰っていきました。

人を気遣う精神をみならうにはこの方!
ということができるほど
周りの人たちに対する心遣い
そして
爽快とした性格、
または全ての面で肯定的に捉えられる性格を
与えられ皆から親しまれた婦人でした。


今晩は彼女を忍んで、思い出を語り合いながら
前夜式で彼女の好きな讃美歌、アンセムを
歌う時をもっていただきました。



寂しい気持ちがありますが

いつも賛美歌を歌う事によって
彼女の生きかたを思い出しながら


毎日歌えることに感謝していきたいです♪

 声楽 指揮・作曲 邦楽器 オペラ∩声楽曲


日付:2008年03月02日

35件のコメント

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このブログ(日記)へのコメント

今日も普通に日常を生きていけることに、感謝しなければいけませんね。生きていれば苦しいこともありますけど。。。頑張りましょw

2008年03月04日 01時37分20秒

Shigeru Kan-no

社会では老若男女が一緒にやるので良くありますね。

まあ先に逝ってしまってもいつかは自分もそこに行くのですからね。また会えると思っていればいいでしょう。ほんのちょっとの別れはさびしくありませんよ。

2008年03月04日 06時19分40秒

operaghost

大人の男性のコメントですね。
かっこいい!(^^)

2008年03月04日 12時25分12秒

Shigeru Kan-no

日本では「死」ってどうしても否定的に語られますが、僕たちもいつかああなってまた死者と会えるんだ、と思えば怖くないし悲しくないし寂しくないですね。事実そうでしょう?だからちょっといなくなっただけですよ。マーラーの歌曲集にあるように「子供たちはちょっと外出してるだけ」です。

2008年03月04日 19時09分46秒

下鷺 千翔

「死」を『外出』と同じように捉えられるようになるまでには、いくつかの隣人や知人の死に遭遇する必要があります。

他人の死を間近に見た上に、自分自身も何回も涙することで、「自分の将来の死」と向き合ったりできるように慣れていくのだと思います。

それができない内は「まだまだ若い」ということかも知れません。

2008年03月04日 20時06分18秒

hiro

聖歌隊に所属している上
教会での冠婚葬祭で讃美歌を歌わせていただく機会は
たくさんあります♪

だから、
死というテーマ
愛というテーマ
永遠というテーマ
はいつも学ばせていただいています♪

音楽にたずさわる人だけではなくて
すべての人間にとっても必要ですよね。

今回の出来事に対して
とても大変勉強になりました!!

2008年03月04日 23時29分03秒

Shigeru Kan-no

でもいつもそれに携わる牧師やお医者さんは涙していられませんね。毎日何かありますからね。

涙してもいいのですが、僕はそれは自分の解決にならないので特にしません。問題はこれからどうするかでしょう。人が死ぬのが問題ではなくて、それで残された人が問題だ、とNHKで昔永六輔が言ってたのは理解できますね。

2008年03月05日 00時21分55秒

hiro

そうですね!
既に死んだものは神様の手にあるのですから。
僕たちは祈りの他に何も出来ません。

その人の死を見て
僕たちは何を求めて生きたらよいか
考える事が大切なのでしょうね♪

2008年03月05日 22時48分13秒

Shigeru Kan-no

思うには自分が死んだときに自分の家族や友人に泣いて欲しいかでしょう。僕はそれよりも残してきた家族や友人が自分無しでこれから上手くやっていけるか心配です。自分が死んだのはすぐに諦めて欲しいと思います。もちろん喜ぶ必要もないですが、死んでしまったのはもう生き返られないから、自分の事はすぐに普通に処理して、彼らには一刻も早く普通の生活に戻って欲しいですね。

2008年03月06日 00時34分34秒

私はChristianではないのですが、死んでしまったらこの世に同じ形で存在できないのは事実ですね。自分や自分に関わる人が死ぬ前に、後悔しないように生きるのが最善だと思いますよ。

2008年03月06日 01時55分15秒

Shigeru Kan-no

死んでしまったらこの世に同じ形で存在できないのは事実ですね。
・・・・・・・・・・・
これだけは宗教に関係なく普遍でしょう。でも自分が死んだらどうしてもこの世のすべてを諦めないといけないですね。もちろん残された人たちはとても悲しいのですが、霊とか魂があったらいつかあの世で確実に会えると思います。と考えると大丈夫と納得しますね。

2008年03月06日 06時12分33秒

hiro

フォーレやドゥリュフレ
他にも沢山レクイエムを書かれていますが
その音楽にある素晴らしい天国の情景は

ただ頼まれて作っただけでなく

ソレに対する信じる心や
そこに必ず行きたいという希望なども
含まれているからじゃないかなって
思わされました♪

それを聴いてこの世に残ったものも
後々に自分も天国でその人と再び出会うことが
できる希望を持つきっかけにもなるでしょうね。

2008年03月08日 13時56分03秒

Shigeru Kan-no

まあ違和感のある人は「極楽」や「あの世」でもいいです。要するにあっち側ですね。やっぱりあるような気がします。

2008年03月08日 18時46分07秒

hiroさん

まだ生きている我々にとっては、再び会えるかもしれないというのは希望の光ですね♪

2008年03月18日 01時46分41秒

Shigeru Kan-no

同じ肉体のままでは会えませんが、その霊たちはあの世で会うことができる気がします。

2008年03月18日 06時25分07秒

hiro

そこが天国なら最高ですね

すべては神様のみが知る

でしょうけどね。。。

2008年03月18日 23時54分44秒

Shigeru Kan-no

地獄の可能性もあるわけですね。自分は100%完全とは思いませんから。

2008年03月19日 05時25分00秒

hiro

僕ももちろん完全とは思えません〜

『救い』という概念を考える時に
天国と地獄という二つの世界が
肉体から離れた世界にはあると考えられるからです。

絶対と言うほど
今生きてる世界よりとてつもなく長い
永遠の世界を考えるのが人生なのではないかな
って思う今日この頃です〜 汗

2008年03月20日 00時00分57秒

>絶対と言うほど
>今生きてる世界よりとてつもなく長い
>永遠の世界

宇宙の年齢、とか・・・本当に我々はどこから来て、どこへ行くのでしょうね。。。

2008年03月20日 01時56分18秒

Shigeru Kan-no

ただ、ガムを道路にちょっと捨てた人と、強盗殺人した人と一緒の地獄には行くとは思えません。やはり積荷は大開があってそれに応じて罰は受けるものと思っています。

2008年03月20日 07時13分45秒

Shigeru Kan-no

今日はうちの女声合唱団の現役メンバーがまた一人突然亡くなって練習が休みになりました。みんな悲しんでいるので、日曜日の出場は取りやめになりました。今年になってから3人目です。葬式の出番ばっかりが続きます。とにかく今年はいきなり死去する人が多いです。

2008年04月03日 06時08分49秒

hiro

罪の重みは周りから見られて
重い、軽いの価値で判断するんではなく
最終的には神が決めることかなって思います。
どちらにせよ罪は罪なのですから、
戦争、
盗み、
ウソをつくこと
とにかく人間は
みんな罪を持っているのですから。



本当に人生は出会いと別れの連続ですね。

2008年04月04日 23時13分26秒

Shigeru Kan-no

罪は罪ですよ。普通は私たちでもわかります。僕にもあります。やったことは全部支払わないといけないのですね。辛いです。

でも家の合唱団は今年は先週までぴんぴんして歌っていた人が突然死するのが多いです。今年はもう3人目です。いつも牧師と一緒に墓場のカペレで残った合唱団員でアカペラで歌声を死者にささげています。墓場ですからオルガンが無いので無伴奏なのです。合唱祭をキャンセルしてまで葬式でアカペラで歌うのは辛いですね。

2008年04月05日 00時05分08秒

hiro

僕たちの罪ははらいきれるものではありません。
カトリックでは煉獄があるから
肉体が朽ちた時に煉獄に行ってから
天国に行くという概念をもっていると思います。

合唱祭をまでキャンセルされて歌われたんですか!?
天国に行かれた方はさぞ喜んでおられることでしょうね!!!!

2008年04月05日 22時18分53秒

Shigeru Kan-no

僕はカトリックではありませんが、煉獄を容認します。プロテスタントの解釈は極端に言うと「原理主義」に近いとこがあります。道路で10円ネコババした人とヒットラーみたいに大量殺人を犯した人とはやっぱり同じ地獄では無いでしょう。昔東京のプロテスタントの牧師に質問したのですが、精神薄弱でキリスト教を理解できなく生まれ死んだた人や、キリスト教を伝道する前の未開の民族で生まれ死んだ人も同じ永遠の地獄に落ちるそうです。プロテスタントは一見現代的に思えますがカトリックほどではないにしても一般常識に照らして何かおかしいとこが必ずあります。しかしそういう疑問に明確に答えられる牧師が多数の信者を獲得するだろうと思います。

2008年04月06日 06時19分18秒

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