はかせさん
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このブログ(日記)へのコメント
『短時間でたくさんの建築物を見ることは出来るだろうが、あくまでも他人を介しており、全然肉薄していない。』
「?自分の音楽を形づくるのが目的では?」吉田秀和さんが聞いたら、きっと『そんなこと考えたこともない』とおっしゃるような気がします。
「愛する」息子さんの練習風景を身近で見る機会が増えれば、別のこともお考えるようになるのではと愚考します。
2007年07月27日 13時29分13秒

プロは食うために嫌いな曲でも演歌までも演奏しないと生きていけないので大変です。アマの魅力は別の仕事で完全に食って行けるという点ですね。めずらしい曲でもプロは客の入りが悪いと手が出せませんが、アマは客が入らなくとも平気でやりたい音楽をやれますね。技術的な問題は良くあるけれども、演歌の伴奏よりは絶対いいはずです。
2007年07月27日 16時50分28秒

はかせさん、はじめまして・・・
プロがしんどいのは音楽家だけではありませんね。理由は同じで、より好みのことばかりできないこと、より高度なこと、結果が要求されることです。それに技、気持ち(ストレス)などが耐えられなければいけません。
Kan-noさん
>アマの魅力は別の仕事で完全に食って行けるという点ですね
「別の仕事で完全に食って行ける」かどうかは、そちらの「プロ」としての力量や職業によります・・・。
2007年07月28日 02時12分13秒

アマチュアは結果として音楽以外で完全に食っているわけでしょう。プロは才能があってもなア、食って行けるのと別問題だから。
2007年07月28日 05時35分15秒

ひこうせんさん、初めまして。
私はある分野のプロとして仕事をしていますが、ここでは、好き嫌いはありません。
音楽に関しては、静寂の方が遙かに好ましいと思うものが非常にたくさんあるので、商売にはできません。
2007年07月28日 11時28分59秒

Kan-noさん
音楽以外のプロも、素質や実力があっても運などその他のものに恵まれなければ、大成はできないと思いますし、私の仕事の分野でも、周りとの関係などから自分の嗜好に完全に沿った仕事ができるとは限らないです。不合理な不平等もあります。残念ながらそれが世間なのかなと達観して、自分のできることを精一杯する、それしかないと思ってます。・・・結果が努力と才能の掛け算で出てこないところが世の中の面白いところ、くらいの余裕をもっていたいです。
はかせさん
コメントありがとうございます。
>私はある分野のプロとして仕事をしていますが、ここでは、好き嫌いはありません。
「ここ」とは何を指すのでしょうか?ご自分のお仕事の世界ですか?・・・たぶんはかせさんは実力、環境、運、などに恵まれたほうの方なのかもしれませんね。
>静寂
・・・そういえば、これ自体も、現代音楽の題材になってますね。
(ところで、商売って汚いものでしょうか、ならば資本主義は汚い社会ということ?)
2007年07月28日 16時25分48秒

そうですね、環境なども大切ですね。でも中途半端なプロよりもアマチュアの方が幸せだとおもいます。特に日本のオケの奏者は給料が十分でないので、事実上の中途半端ですね。とてもかわいそうです。音楽家をほんとに志望するならソリストでしょう。オケでもコンマス・クラスだったら何とか幸せになれます。
レッスンの先生はどこでも普通は悪く言わないですね。生徒に音楽を辞められると自分か食えなくなるからです。それだけレッスンしている人は生活が切迫しているのですね。まあほんとにソリストになる人は余り音大は考えないで、ムッターのように普通の大学に行く人が多いですが。音大は楽器の場合は中途半端な人が行くところですね。ソリストではほとんど使えないですね。それだけ恐ろしく厳しい世界です。
2007年07月28日 16時42分46秒

親の猛烈な反対を押し切って(^^ゞ音楽の道に進まなかった私としては・・・
「プロ」「アマ」どちらも一長一短あると思います。
わたしのまわりに、有り余る才能を持ちながら、「プロ」としてのプライドとプレッシャーに押しつぶされてしまって(つまり「わたしはもっとできるはず」&「わたしはもっとできなければいけない」)、今ではその楽器をさわることすらできない・歌う声がでない とか、人前で一人では演奏できない・伴奏とかならいいんだけど・・・という人を何人か知っています。
ピアニストでは、生活に追われてしまって、自分が勉強する時間とお金がない、先生につかないから進歩もなく枯れるばかり・・・(ちょっと言葉が過ぎたかな。ごめんなさい)という人もいます。結局、結婚してだんなさんに食わしてもらってるからピアノの先生として、演奏家としてやっていける、という人が多いのが実情です。
でも、今になってわたしはきちんとした音楽の勉強がしたい、と本気で思っています。
アマチュアでは、本当に好きなこと、好きな音楽だけを勉強すればいいかもしれない。でも楽典とか和声法とか、そういう勉強って、結局大学とかで何年間か「勉学」としての縛りの中でなければ、身につかないものです。そして、その知識のなさにおいてのハンデを、今痛感しています。
それから、よく分からない現代的な音楽についてだとか、オーケストラややったことのない他の楽器についてとか、今のわたしにとっては学ぶ機会はまったく皆無です。(なので、Museは貴重な機会です♪)
嫌いな音楽から学ぶこともあると思うし、はかせさんの息子さんを心から応援したいです!良い息子さんにお育ちになり、また良いお父さんをおもちで、本当に幸せなご家族ですね♪
どんな道へ進んでも、結局その道が自分にとって一番良かったのだと思いたいです。そして、今自分にできることを探しながら、楽しく精進して行きたい&生きたいです!
2007年07月29日 15時04分10秒

ぴょん(#^.^#)さん
>どんな道へ進んでも、結局その道が自分にとって一番良かったのだと思いたいです。そして、今自分にできることを探しながら、楽しく精進して行きたい&生きたいです!
僕は音楽の道は選ばなかった(音楽に対しては、そんな才能を自分に見出せなかった)けれど・・・そうしていきたいです。結果に欲を出せば出すほどキリはないけれど。仕事って、もともと重いものですからネ。
潜在的に自分の持てるものをどれだけ出せるかが大事なのでしょう。
2007年07月29日 15時18分46秒

僕も親の反対を押し切った物ですが、結果はやはり厳しく書かざるを得ないですね。やはり嘘だけは絶対書けないです。これからの人はほんとにソリストになるつもりで音大に行った方がいいですね。オケのTuttiのヴァイオリンで良いやと思っているとどこでも入れないようです。もちろん入る前に完璧で当たり前。音大はそれをどのコンクールでも通用するように修正するだけです。あそこでこれから「学ぼう」と思っているともう遅いですね。とてつもない競争社会です。まあ普通物になる人は十代でコンクールなどを制覇しているものですが、それでもソリストではなくオケの楽員で甘んじなければならない人が大半ですね。それが嫌だったらアマで充分でしょう。今日ではここまでやっても食えるほど客が入らないのですよ。
2007年07月29日 17時03分01秒

Kan-noさん(はかせさん、失礼・・・)
私は音楽のプロの世界については聞入るだけですが、同じような世界・・・大学の世界について関わりを持っています。理工系の大学院を出た大勢の博士号をもった人たちもあぶれています。食っていくには、仕事の内容や、「演歌を演奏する」に似た妥協を強いられます。表向きの立派さとはちがう面大有り。会社に入れば一定の給料はとりあえず保証されますが、また派閥争いなどもあり・・・世の中、そういう面から完全に避けて通るには、格段の実力か、コネか・・・そういう点では似てると思います。
2007年07月29日 17時26分00秒

どこでも厳しいようですね。僕の新曲視晶の先生がいうには、高校時代あの芸大にさえ入れば何とかなるということで、一生懸命東京の「土方」をやってお金貯めてやっと芸大に入ったそうです。それから4年後卒業したわけですが、それでも全く食えなかったので今度は大学院にさえ行けば食えるとおもって、また土方のバイトをして苦労して芸大の大学院に入ったそうです。2年後修士号取って卒業したのですが、仕事が無くてまた土方やったそうです。僕たちより前の世代がこういう状況ですからね。もちろん音楽の世界では博士号は全く通用しません。アメリカの大学で全員音楽の博士号もっていますが、世界的に通用する人は一人もいませんね。
ドイツではそういう学位を与えると反ってレヴェルが落ちるのでわざと与えないですね。卒業さえもさせない学科があります。自分の実力を試すには結局コンクールでも受けに行けば言い訳です。
これは他の分野ではちょっと別でしょう。やはり医者には少なくともDr.の学位が無いと恐くていけませんが。
僕が向かしやっていたPosaunenchorにも博士号をもっている人が少なくとも3人いましたね。もちろんアマですが、駄目な時は駄目で練習の手は抜かなかったです。やはりよほどの化け物じゃないとプロにならない方が幸せです。逆を言うと今日ではプロには人間の化け物かかたわじゃないとだめですね。ここではピアノの先生らはピアニストとして考えないでいっています。ピアノを人前で弾いてチケットを自分で売らないで食って行ける人のみがピアニストとしています。
2007年07月29日 20時52分51秒

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アマチュアとして音楽を演奏する意味、ということを時々考えてしまうことがある。
高校生の時、当時のチェロの先生に勧められていた音楽大学への進学を断る、という決断をしたのだが、その時の理由はよく覚えている。プロになってしまったら、嫌いな音楽でも演奏しなければならなくなるだろう、ということだ。私は昔も今も音楽の好き嫌いが激しい。それに、サイエンスの世界に対する興味も大きかった。
息子が高校2年の時、音楽大学に行きたい、と言い出したのは多分に父親への反抗があったのだと思うが、この子が持ち出した理由として、アマチュアにとどまる限り、一緒に演奏するメンバーに、それ以上の精進を要求できない、というものがあった。
この子がヴィオラに転向したとき、私は生涯最高のヴィオリストを手にしていることに気付いた。ちょうど、カミさんもやっと室内楽で使えるピアニストに育ってきていたし(結婚後20年経ってようやく!)、ごく近所に、望みうる最高のアマチュアヴァイオリニストが揃っていた。それで、それまでは夢でしかなかった、愛する室内楽をむさぼるように弾き、私としては息子に、アマチュアの生活って素晴らしいだろう?プロになんか成る必要はないんだぞ、と言っていたつもりだった。
それでも、我々アマチュアは何かというと出来ない言い訳を持ち出す。それが息子には気に入らなかったらしい。プロになれば、言い訳無用、生活がかかっているのだから、どれだけ高度な要求を突きつけられても達成できなければならない。
考えてみれば、その時のメンバーの中でも、一番技術が高いのも、ソルフェージュ力が高いのも、アナリーゼ能力が高いのもこの子だったから、自分より上手な人と合奏したければプロになるしかない、と思ったのかもしれない。
私が生きているサイエンスとアカデミズムの世界のすばらしさを体験させてやりたかったので、私は大反対だったのだが、ここまで音楽に引きずり込んでおいて、絶対にプロになってはいけないというのも難しく、国立の音楽大学に現役で入学できたら許可する、もし不合格だったら、一浪して理系の大学に進め、という条件で話をつけたのだが、あっさり合格してしまった。
入学してからは時々しか会わないのだが、会うたびに驚くほど上達している。頭の中にあることの進化が凄い。そういう息子と話していると、たしかにアマチュアなんて、馬鹿馬鹿しいという気になってくるのだ。
しかし、それでも、楽器を自分で演奏するということは、自分が尊敬する作曲家達と直接話し合う、ということなのだ。バッハ、ベートーヴェン、モーツァルトたちの頭の中に生みだされた偉大な構築物を、自分の目で細部まで観察する、という行為だ。他人の演奏を聴くのはその建築物を写真やテレビで見ているようなものだろう。短時間でたくさんの建築物を見ることは出来るだろうが、あくまでも他人を介しており、全然肉薄していない。
最近はそういう風に考えて、弾くことを続けている。
チェロ ピアノ