はかせさん
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『グールドが1955年にこれを録音した時、レコード会社は反対したという。売れるわけがない、という予想だろう。メディアで働く労働者の保守性をよく示す逸話だ。』
このご意見は、ありがちな推測だと思います。あるレコードプロデューサーの著作にこの辺りの事情が書かれてありました。
簡単に言いますと、グールドはスタンウェイのピアノから自分好みの響きを出すために徹底に改造を行ったようです。
スタンウェイの技術者、調律師は自社のピアノに対するコンセプトを持っていましたから、あまりの「改造」振りに悲鳴を挙げて、グールドの演奏から引き出されるピアノの響きを自社のものと認めることに躊躇したとあります。
芸術家と技術者の双方のプライドがぶつかった最悪の事態です。こうしたことはミケランジェリの場合にもよくあったようです。
逆に、ロシアの巨匠リヒテルはヤマハの調律師の技術を高く評価し、感謝の気持ちを浜松の工場にまで出向いて示したというエピソードはNHKでも放映されました。ホットする話です。
2007年10月12日 16時59分26秒

レコード会社であるコロンビア社が反対した話は、「グレン・グールド伝―天才の悲劇とエクスタシー」ピーター・オストワルド著、宮澤淳一訳:筑摩書房、131ページに出ていたので書きました。
もちろん、伝記だから真実を書いてあるとは限りません。
いずれにせよ、私がそこに立ち会ったわけではないので伝聞にすぎません。
2007年10月19日 15時15分25秒

はかせさんのように、チェロの演奏も相当な方とは違い、愛好家は他人の意見に左右されがちです。
グールドは、吉田秀和さんが「演奏方法は別にして、100メートルを10秒を切って走りきることのできる走者は、やはり、稀有の天分の持ち主・・・」といったようなことを書いていたような、話していたような?ただ、残念なことに、私の耳はあまりグールドのピアノ演奏に「感激」することがないのです。技術的には素晴らしいのでしょうが・・・。仕方がないですね。
2007年10月24日 09時22分41秒

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友人が貸してくれた、グレン・グールドのヴィデオテープを見た。前半がゴールドベルク変奏曲、後半が対談とパルティータだ。
グールドと言えばゴールドベルク変奏曲。何しろ、レコードのデビューが1955年のこの曲のモノラル録音、最後の録音が1981年の同じこの曲のデジタル録音で、その翌年には亡くなってしまったのだから。グールドが亡くなった時に真っ先に思ったのは「もう一度ゴールドベルク変奏曲を録音したりするから死ぬことになったのだ」ということ。あまりにも話が出来すぎている。周囲にいたグールド・ファンはみな、この二つの録音を聴き比べてどちらが好き、とか論評し合ったものだ。
この曲はアリアとたくさんの変奏曲からなっていてとても長い。睡眠薬替わりの音楽という伝説もあるくらいだ。グールドが1955年にこれを録音した時、レコード会社は反対したという。売れるわけがない、という予想だろう。メディアで働く労働者の保守性をよく示す逸話だ。爆発的なヒットをした時、この、反対した社員はなんと言ったのだろう。
私のピアノの腕では、最初のアリアを弾くくらいだが、それでも、このアリアは魅力的だ。じっくり全部の変奏曲を聴いていると、バッハという人のしつこさというか、傍若無人さというか、強靱さというか、を感じる。あとに雑草一本生えない。この曲想から発想できるすべての可能性が、書き綴られている。そういう面ではフーガの技法にも通じる徹底ぶりだ。そういう、音楽上の実験、あるいは論文に近い曲なのだが、名手の手にかかればそれが、同時に言いようもない魅力を示す音楽であることもすごい。
夕べ見たヴィデオテープは2度目の録音の収録時の映像がまず入っていた。たくさん録音したテープを聴き比べ、どのテイクが良いかをエンジニアに指示している。聴いている側にすれば、どのテイクも同じように聞こえるのだが、本人には違いが分かるらしい。「こちらの方がリピートに必然性が感じられる」などと言っている。そう、繰り返しは単に同じことを二度弾けと言う意味ではなく、なんらかの必然があって繰り返さなければならない。
グールドが、なぜ同じ曲を再び録音することにしたかを語っていた。必ずしも真実を語ったかどうかはわからないが興味深い。
まず、1955年の録音はモノラルだったこと、ステレオ時代の今では(1981年のこと)時代遅れだろう。また、ドルビーの技術によって音質が飛躍的に良くなったことを挙げている。これは前置きだ。まさか、これだけのために再録音するはずがない、グールドともあろう人が。
ふと、珍しいことに、自分のレコードを聴いてみたんだ。そしたら、これがとても良いのだ。ただ、ちょっと、それぞれの曲との関係が、何というか、それぞれが勝手にやっている感じで、もっとそれぞれの関係を有機的に出来るんじゃないか、と思ったという。でも、これは旋律的なつながりとか、歌い方の話ではなく、リズムというかパルスというか、そういう次元のことらしい。
そして、コンサートで弾かなくなってから20年間、一度もこの曲を弾いていないので、とか言っている。まあ、この曲が好きということもあるのだろう。
そのあと、このゴールドベルク変奏曲の全曲の演奏風景が収録されている。たぶん、1981年に発売されたCDそのものではないが、同じ時期の演奏だと思う。長い曲だが、やはり、引き込まれていく。グールドの演奏の素晴らしい点は数々あるが、次の変奏曲が前の曲と拍子やテンポが大幅に変わった時、グールドはその1拍目からどういう拍子とテンポなのかが明確に分かる、ということも凄い。凡庸な演奏は1小節くらい進んで初めて、ああ、そういう譜割りなのか、とわかる。
この録画を見ると、グールドは自分で指揮をしている。新しい変奏曲に入る直前に手を空中で激しく動かして、確かにこの指揮を見るとこのテンポで、こう弾くしかないな、と思われる指示を出している。なるほど。
この曲をヴァイオリニストのシトコヴェツキーが弦楽三重奏に編曲し、グールドに捧げている。マイスキーのチェロで録音もされているし、楽譜も出版されている。途中まで遊びで弾いてみたが、なんとなく、グールドの録音の印象を汚すようで、立ち消えになってしまった。
チェロ ピアノ