はかせさん
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2008年01月16日 18時30分33秒

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曲を演奏する立場から見たとき、技術的に難しい曲とそうでない曲というものがあり、ある種の順列というか勾配がある。ピアノで言えば、易しい方からモーツァルト−ベートーヴェン−ショパン−リスト−ラベル、とい、う順序だろうか?無伴奏チェロ組曲のプレリュードで言えば、易しい方から2番−1番−3番−4番−5番−6番だろうか?
年代が後になるほど技術的に難しくなり、同じ作曲家の場合、後から作曲されたものが難しくなるという傾向があるかもしれない。最初は少数の演奏家しか持っていなかった技術は研究され、練習法が考案され大衆化していき、それを土台にまた新たな超絶技巧が生み出される、という過程があるから当然かもしれない。
その楽器を一生懸命練習していると、どうしても技術的に難しい曲が偉い、という先入観を持ってしまう気がする。しかし、技術的難易度と、曲の内容の高度さ、あるいは曲の偉大さ(多くは私の主観によるが)、とは関係ない。たとえば、私にはリストのピアノ曲がベートーヴェンのピアノソナタより偉大だとは到底思えない。ヴァイオリン音楽でもパガニーニのカプリス(好きではあるが)が、バッハの無伴奏ヴァイオリン曲より偉大だとは決して思えない。
それでも誰それさんが、どこそこで、ラベルの「鏡」を弾いた、あるいは、パガニーニのカプリスの終曲を弾いた、あるいは、コダイの無伴奏チェロソナタを弾いた、とか聞くとつい、感心したりする傾向が自分の中にあると思う。
ここ数年、自分の中で技術的に難しい曲というカテゴリーに分類していた曲の多くを、公開で演奏することができた。シューベルトの1番のピアノトリオ、チャイコフスキーのピアノトリオ、ラベルのピアノトリオ、ブラームスの2番のチェロソナタ、ベートーヴェンの4番のチェロソナタ、バッハの無伴奏チェロ組曲第5番、第6番、などなど。
そして感じていることはこれらの曲は技術的に難しいからといって、もっと易しい曲より偉いとは限らない、ということだ。そして技術の先にある難しさはまた、別の問題なのだ。バッハの無伴奏チェロ組曲第5番を変則調弦で弾くこと、あるいは6番を弾くことは難しいけれど、アナリーゼし、ヴィジョンを決め、それを実行する難しさにおいて、2番の方が楽ということは無いし、曲が持つ内容の高さに違いはない。つまり、2番を仕上げることには5番を仕上げることと同じ難しさがあるのだ。
たしかにラベルのトリオは難しく、演奏して達成感はあり、また、傑作だと思うけれど、私の考えでは、ベートーヴェンの大公トリオの偉大さ、格調の高さには遠く及ばない。演奏会のために仕上げるのは大公トリオの方がずっと手間がかかるのだ。
技術的に難しい曲に手が届かない段階では、そういう難曲に憧れ、目標とし、結果的にその曲を過大評価してしまっていたと思う。なにしろ、膨大な練習時間を要したのでやむを得ないのだが。
技術的困難というフィルタを外して、楽曲の偉大さを感じることができるようになったことが、技術的に難しい曲を弾いてきた、最大の成果だ。
チェロ ピアノ