はかせさん
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2008年02月05日 12時08分00秒

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周囲のアマチュアプレイヤーを見ていると、先生について習っている人が多い。そういう人にレッスンの話を聞くのはなかなか面白い。ほとんどの人がレッスンに肯定的で先生にも満足しているようだ。不満な人は習うのを止めたり先生を替えているようだから、続いている人は満足していて当然だ。
「目から鱗が落ちる」、「自分の演奏ががらっと変わった」、「生まれ変わったようだ」などという感想を熱を込めて語ってくれる。しかし、その人の演奏を聴いている限り、大して変わったとは思えない、というのが通常だ。
本人は大いに変わったと思っても、聴いている人にはわからない、というのはよくある。楽器を調整に出したとか、魂柱を動かしたとかでも同じだ。プレイヤーが思うほど聴き手には差が分からない。また、頭ではわかったけれど、消化できていない、身体がついて行っていない、というケースもよくある。
先週の室内楽の例会では、ヴァイオリンを弾いた人の一人が、大きく変わっていた。これまでは弓と弦との当たりがきつめの一本調子だったのが、ずいぶん柔らかくなっていた。常に先生に言われたとおり弱い当たりを心がけていた。でも、本人は辛そうだった。長年やってきた奏法を変えるのは大変だし、弾いた満足感が得られないのかもしれない。そのうち身につけば、なじんでくると思いますよ、と慰めた。
チェロの一人もはっきりとした進歩が見られた。楽器もそこそこ鳴るようになってきたし、左手の形も多少合理的になり、当然音程も良くなった。きいてみたら、先生を替えたそうだ。
私が受けているレッスンも、毎回驚くべき内容で、習って良かったと思いながら帰る。しかし、これを消化するのは大変だ。レッスンの内容にも、一言のアドヴァイスでがらっと変わるものもあるが、練習時の考え方のようなものは、成果が表に出るまでに時間がかかる。彼らの成果が表に現れたのは、良い先生につき、その先生を尊敬し、自分でレッスンの中身を消化する練習をした、ということだ。尊敬に値する。
一方で、全然進歩しないな、と思う人もまた、多い。弦のプレイヤーで、ちゃんとカウントしない人は、本当に罪深いが、ダメな人は死ぬまでダメなようだ。どんな曲を弾いていても、平気で勝手なタイミングで弾き、周りが合わせてくれるのを期待している。平気な顔して「わたし、数えるのが苦手なんで」などという。頭が悪い上に、確信犯で他人に迷惑を掛けている。こういう人は一人だけで弾いているべきだと思う。彼らが混ざっている合奏に誘われても、断固拒否している。下手で、居直っている人間とつきあう必要はない。
ピアニストも進歩しない人が多い。ちゃんとアンサンブルができる人は最初からできている。できない人は何年経ってもできない。これも頭の善し悪しと人間性の問題のようだ。
室内楽に手を出すピアノ弾きはだいたい、音楽大学の一つくらい卒業していて、家で大勢生徒を教えたりしている。自分ではもう習っていないし、だれも面と向かって苦情も言わないから自分の演奏に対する疑惑など持ったことがないらしい。天真爛漫に自分は上手だと思っている。自分のパートはミス無く弾いたと、威張っているのだ。全然スコアを理解する気がないという点で、カウントしない弦のプレイヤーと同罪だ。
こういう二人が弾く弦とピアノのソナタを聴くのは、とてもスリルがあって、下手なミステリを読んでいるよりどきどきする。
チェロ ピアノ