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東日本地域、なかでも東北地方を中心に襲った大震災、その直後の原発事故から間もなく、1年が過ぎようとしている…。
私は、今から3年ほど前に長いこと生活をしていた千葉を離れて東京に移り住み、ここを新しい生活の拠点とした。
今住んでいる所は、母の郷里でもある。
その当時、私は自分の興味分野でもあり、なおかつ自身にも適性があると信じていた職を辞した。
私の母は、もうすでに若くはなく、その上10年以上も前から難病指定を受けている現在でも原因不明の病に冒されている。
病を患っていることが判ってからも症状は刻一刻と目まぐるしく変わり、ふだんはとても病人には見えなくとも、予断を許さない状況は続いている。
私は、一旦は離れてしまった仕事にも戻りたいと思っていた。戻れるのかどうかは分からなくても続けたかったからだ。
けれども、その分野に職として就くにはあまりにもスタートが遅く、経験にも乏しい。年齢のわりには即戦力としてはなりにくいことは分かっていた。
ある意味では幸運であったことを、自ら放棄してしまったのだった。
転職活動を続けながらも結果が出ず、自暴自棄になってしまいそうな時期が続き、それでも自分の意思にはそぐわない仕事を続けながらも、慣れない土地での悪戦苦闘の日々は続いた。
それでも、
私はこの場所で生きていく。
そして、この場所を今よりもっと好きになりたいと思っている。
なぜならここは、祖父が亡くなるまでずっと過ごしていた所でもあるし、それは千葉を離れる前にじっくりと考える余裕などない状況の中でも、一旦は心に決めたことだからだ。
思えば、子供の頃からずっと、自分の意志が及ぼうとも及ばないとも関わらず、音楽はいつも私のそばにあった。
今ではもうピアノもバイオリンも私の手の届く所にはない。
いつかは弾ける時のためにと思うよりも、弾けないことが分かっているのなら、弾ける人のそばにあったほうが
良いに決まっているから。
そう願うことで、自分を納得させていた。
心が折れそうになる時、私は自分の好きな曲にただひたすら向き合い、あるいは、ジャンルがクラッシクではなくても、人からすすめられるままに無心になって、聴いたことのない音楽を聴き、心を落ち着かせていた。
ようやく、新しく、そして子供の頃から馴れ親しんでもいる場所で希望と言うにはとても頼りないけれど、明るい兆しが見え始めた去年の春先に、母が倒れた。
倒れてしまった原因は、やはり分からない。
幸いにも心臓や脳に血栓が詰まって…という類のものではなかった。
ただ、倒れた時に頭を強打し、せき髄を損傷した。
手が不自由になってしまった。
そして、その一週間くらい後に、大地震に見舞われた。
連日報道をされる被災地の様子を見るたび、心が痛んだ。
自分自身が大変な状況にありながらも、私にも何か出来ることはないものかと、僅かな時間の合間に考えることもあった。
けれども私は、毎日伝えられるニュース映像を前にしてただただ涙を流すよりほかになかった。
そして、こういう時に動ける人というのは、自分の状況など考える余地もなく、動き出してしまうのだろうと思えば、自身の非力さを噛みしめるのみだった。
3月の11日から時が過ぎてゆくほどに、ふだんの日常を取り戻していく周囲の様子にどこかしら違和感を覚えながらも…。
(つづく)
作曲家 交響曲 ヴァイオリン(バイオリン) チェロ 室内楽