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このアダージェットは遅くやった方が効果があるね。生で聴いただけでCDにもラジオでも放送されていなかったがジェルメッティ指揮のRSSは良かった。本当に良い演奏は必ずしもCDになっていないものだね。
ブラームスに落とされた「嘆きの歌」は良い曲だよ。1番と2番の予告編。初稿と改定稿があるが単に第一部を取っただけじゃなくてオーケストレーションが大分違う。そのブラームスが後でマーラーをウィーン国立歌劇場総監督に推薦したのは時代の皮肉。
2012年04月23日 01時00分26秒
個人としては「若き日の歌」のオーケストレーションを完成させたいね。もうベリオまでで10曲完成しているから残りの3曲を自分でやって見たい。誰か演奏してくれないかな?マーラーの歌曲集はオケの伴奏がついて当然。
2012年04月23日 01時03分18秒
更にデイヴィットとマシューの編曲があり、ベリオ編曲には「思い出」の編曲が2通りあるので事が非常に複雑。
2012年04月23日 01時10分00秒
菅野さん、こんばんは。
私は基本的に器楽が好きなので、マーラー好きと言えども、2番、3番、8番、「大地の歌」は馴染みが薄いのです。
どれも聴くだけでも大変!ということもありますけど(笑)
でも、5番が作られる前までに何をしたかったのかを理解するには、歌曲は避けて通れませんね…。
「嘆きの歌」は、とりあえずブーレーズの古い録音が図書館にあるようなのでそれを聴くつもりです。
でもその前に、例の資料室にケントナガノとシャイーのCDが置いてあるようなので、それぞれ触りだけでも聴いてみようと思っています。
ともかく初稿版をじっくり聴いてみたいですね。
2012年04月23日 20時34分30秒
まあー、ドイツ語の歌詞が有るからでしょう。どうしても避けられない運命ですね。
こちらは言葉を絶対攻略しないと仕事にならないですね。今日の合唱の仕事で良い歌詞見つけたので気持ちよく練習できました。
余りマーラーは交響曲と歌曲集の区別がつかなかった人ですね。あの大地の歌は実は歌曲集です。第一楽章がソナタ形式で、第二楽章がゆっくりで、大三楽章がスケルツォだからみんな交響曲というのです。あれは第九のジンクスよりも課曲集だから交響曲の番号を止めたのでしょう。良い曲ですが最後まで歌の伴奏なので派手さが無くきついですよ。
でも長い交響曲でもオペラ・オラトリオと比べたら半分以下の長さですからね。まだまだ楽なものです。
2012年04月24日 07時41分13秒
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さて、マーラーを魂の世界のさすらい人であったと言ってみたけれど、
これは歌曲集「さすらう若人の歌」を意識していたからであって、さらに古くはシューベルトの歌曲にも由来する。
ここで一つ紹介をしたいのは、
マーラーの音楽の中では相当にポピュラーとなってしまった第5番の第4楽章のアダージェット。
この曲を彼の故郷と同じチェコの指揮者、ヴァーツラフ・ノイマンとチェコ・フィルが演奏されているものは是非とも聴いて欲しい。
この演奏こそまさに、作曲家の魂に触れるような名演であると私は感じてはいるのだが、
マーラーの故郷を話したついでに、この第5番を作曲する直前に、作曲家自身がどんなことを語っていたのか、この後の話を続けるために紹介したいと思う。
ナターリエ・バウアー=レヒナーという女性は、マーラーがアルマと結婚をするまでの間、
彼ともっとも親愛の情によって結ばれていた女性ということになるとは思うけれど、
彼女の回想から、1900年の夏のある日曜日の出来事を紹介したいと思う。
バウアー=レヒナーの回想については、妻アルマの回想よりも、ことによれば信憑性が高いとも言われているそうである。
彼らはお祭りがある日曜日に、同じ道を歩いていた。
そこでは、メリーゴーランドやブランコ、射的、人形劇場に無数の手回しオルガン弾きがいたほかに、軍楽隊や男声合唱団なでも居合わせ、
めいめいが同じ森の中の草地で信じられないような音楽を奏でていた。
そのような場所で、マーラーは次のように語ったという。
「すでに子供の頃、イーグラウ(マーラー生誕の地)の森で奇妙に僕をとらえ、僕の心に刻み込まれたのは、こうしたものだった。
こうした騒音として響こうと、幾重にも混じり合った鳥たちの歌や風のうなり声、波のざわめき、火がパチパチ燃える音だろうと同じことだからだ。
ちょうどこんな風に、各テーマはまったく違った方向から聞こえてこなければならないし、リズムやメロディもまったく違ったものでなければならない・・・」
マーラーは、音楽において単純な繰り返しなどあってはならないし、つまらないとも語っていたそうである。
では、ここでさらに別のキーワード。
マーラーの音楽の原体験と、強烈な自己愛。
そして、内面の世界に限らず、この世界のすべてを音楽により奏でようとする野心。
彼の音楽は、同時代の人々には受け入れがたいものであったという事実がある。
けれども、現代のビジネスマンさながらに指揮者としては、成功を収めた一人であった。一緒に仕事をする人間からしてみれば、大変な気苦労を伴う音楽家ではあったろうけれど。
美しい音楽を生み出す一方では、常に完璧を目指す野心家でもあり、野蛮な性格の持ち主でもあったかもしれない。
これは私の憶測にしか過ぎないけれど、正邪入り乱れた世界は、彼の音楽の魅力の一つでもある。
しかし果たして、とくに若き日の彼の胸の内にあったのは、功名心だけだったのだろうかと大きな疑問が浮かび、
私はようやくと言うべきか、今さらと言うべきなのか、
作曲家が自ら作品1と命名することにしたカンタータ「嘆きの歌」を聴いてみようという思いを持ち始めている。
この曲は、マーラーが20歳の頃に完成させた作品で、グリムなどの手になるドイツの童話集を元に、物語とも言える歌詞についてはマーラー自らが作った上で作曲を施している。
ウィーン音楽院を卒業した者にも応募資格のあるコンクールのために作られた作品であり、当時、審査委員の一人にはブラームスがいた。
この曲の物語を簡単に要約してしまうと…
ある兄弟が、一人の王女との結婚を目指して争うことになるのだが、
兄は王女と結ばれる資格を得た弟を殺すことでその目的を果たす。
弟の無念を汲みとった辻音楽師が、弟の遺骨から笛を作り、兄と王女の婚姻の宴の場で笛を鳴らすことにより、その真実を暴く。
城内での宴の場は混乱し、やがては城そのものが崩壊をしてしまう…というメルヘンである。
結局、コンクールには落選し、マーラーの意欲とは裏腹にこの曲は完成後にもなかなか初演されることがなかった。
この物語の中で、若き日のマーラーの人生を思えば、
兄や辻音楽師はマーラー自身で、殺された弟とは、実の弟のことであったり、芽が出ないままに発狂してしまった学友のことであったり、
崩壊する城とは、アカデミックなブラームス自身や当時のウィーン楽壇のこと…
といったような見方もできるのかもしれない。
後にシェーンベルクの若き日の作品を擁護したり、アマチュアリズムをマーラーが愛していたのも、
自分の作品が、なかなか世に受け入れられることがなかったことへの反動と見ることもできるかもしれない。
しかし、この曲が改訂を加えられて初演されたのは、1901年の頃で、当初よりマーラーが心の内に抱き続けてきたことを思えば、大規模な管弦楽を伴奏にした歌曲を作ることで、
すでに彼の音楽における原体験を、表現し始めようとしていたのかもしれない。
いずれにしても、一度でも耳にすると、心に残りやすい民謡風の(あくまでも民謡「風」の)素材を交響曲にも持ち込んだマーラーが、
その最初期の作品で、童話を題材としていたことは非常に興味深い。
現実の世界での身近にある素材から音楽を紡ぎ出したマーラーという作曲家も、実に不思議な存在である。
しかし、その音楽は必ずしも親しみやすいとは言えないし、かなりの毒気を帯びてもいるのだろう。
それは、同時代にウィーンで活躍したクリムトの絵のように、妖しい光を放ってもいる。
それゆえ、終始一貫した一本の命綱ような線がなければ、彼のとくに交響曲の演奏は、容易に破綻をしてしまうのだろう。
数年前までは、ベートーヴェンの第9を年末に聴きに行くようなことに何も抵抗がなかった私だけれど、
何かの理由があって、歌が入る曲を少し避けるようになってしまった…。
どれだけ言葉を費やしても、音楽は、まず聴いてみないことには始まらない。
そろそろ聴いてもいいかな、と思い始めてもいるし、
それは自分にとっても良い機縁を生み出してくれることを願いたい。
尚、この記事を書くにあたっては、現在まだ読みかけではありますが、
村井 翔氏の著作「マーラー」、音楽之友社が刊行した
「作曲家◎人と作品」シリーズからの一作を参考にし、
バウアー=レヒナーの回想については、同書からの引用をしています。
作曲家 交響曲 ヴァイオリン(バイオリン) チェロ 室内楽