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センセイの光る汗

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なんだか青春マンガチックなタイトルにはなりましたが、思い切ってブラームスのことを書きます。
「センセイの光る汗と涙」というタイトルを考えもしましたが、
この作曲家の生涯が、とても幸福なものであったのではないかと思い、私自身もその印象に沿ったものを書くつもりでいます。

また、マーラーへと至る道を簡単に振り返ることでもあります。
比較対象として、マーラーのことも意識しながら書いてみます。


ブラームスという作曲家は不思議な人です。
芸術家としての一つの典型例を示してもいるようで、
そのような見方をすれば、とても面白い存在でもあるでしょう。

この作曲家の若い頃の作品をすでに認めて世に送り出したのは、同じくドイツ出身のシューマンでした。
シューマンとその僚友メンデルスゾーンは、先人の音楽を再評価し、
またとくにシューマンは、新しい音楽表現の可能性を作曲家としてだけではなく、評論活動においても展開していました。

それは、彼の生涯を思う時に、とても幸運なことであったことは間違いないでしょう。

ブラームスが音楽家として活躍し始めようとした頃と言えば、
ヨーロッパの各地で音楽におけるルネサンスとでも呼べるような華々しい時代でした。


シューマンと同年代には、ショパンやリストがより詩的で抒情性溢れ、なおかつ高い演奏技術を要求する作品を生み出し、
演奏会においては超人的なテクニックももてはやされました。
フランスにおいてはベルリオーズ、
ドイツにおいてはワーグナーが、革命的な作品を書き始めています。
ブラームスと同年代となると、チェコにはドボルザーク、ロシアではムソルグスキーやリムスキー=コルサコフといった面々が民族主義の濃厚な作品を作り始めています。

音楽の世界は、19世紀に入り、まさに百花繚乱とも言える時代を迎えていたのです。

人々の生活も徐々にではありますが、現代の私たちが生きている社会のあり方に近づいてきていたのです。
音楽家が貴族のお抱えであったり、教会のお抱えであった時代はすでに遠いものとなりつつあったのです。


そのような時代にあっても、彼は古い音楽。
中でもベートーヴェンの音楽を理想とし、常にその音楽を意識していました。
そのような意識があまりにも強すぎ、ベートーヴェンが傑作を残しているジャンルでは交響曲に限らず、なかなか発表できないという苦心を味わっています。

現に曲を作っては破り捨て、曲を作っては破り捨て…ということを繰り返し、若い頃の作品でもかなりの時が経過してからも改訂を加えるなどその徹底ぶりは、信念と言うよりは、
ある種の潔癖さや愚鈍さを思わせます。


けれども彼は、初志貫徹の人でありました。
古典派以降の同時代の作曲家の音楽を空虚だと感じ、音楽以外の芸術分野からの影響を殆ど見せることもなく、自身はあくまでも
音楽が音楽によってだけ表現できるものを追求し続けたのです。


実は私も、ブラームスの音楽はとっつき難いと感じていました。
まずもって響きが重すぎ、表現が回りくどく、親しみやすいメロディもさほど多くはありません。
クラシック初心者向けには、「ハンガリー舞曲」や「子もり歌」ばかりが紹介されてしまう理由でしょう。

若い頃にチャイコフスキーやラフマニノフの音楽を楽しみ、ショパンやラヴェルなどの柔らかい響きの音楽に親しんだ私には
高くそびえる山のような音楽でした。
時として、ベートーヴェン以上に晦渋であるとも言えるからです。

この記事を書くにあたって、その源流を探るべく初期の作品ばかりを聴き直してみました。
性格的小品である「4つのバラード」や
ピアノ三重奏曲第1番」(この曲も後々に改訂されたものです)。
また先日の演奏会でも聴いた「ピアノ四重奏曲第1番」などを。

瑞々しい抒情性とは裏腹に、すでに何かを諦めたかのような楽句が挟まれ、同時に作曲家としての迷いやそれを回避すべく論理性を追求する姿勢も見受けられ、
その志の高さに、聴いていて何とも言い難いほどに切なくなることもありました。


しかし、私が言うまでもなく。
ベートーヴェンの音楽、また遠くバッハに由来する近代ドイツ音楽の伝統を、見事に消化している素晴らしい作曲家であることに間違いはありません。
初期の作品だけを聴いていても、それが十分に感じられるからです。
そして彼もまた、ロマン派の時代に生きた人間性溢れる作曲家の一人でした。



最後に、私がブラームスの音楽に親しむきっかけとなった作品を紹介し、まだまだ話足りない感じはありますが
この記事を締めくくりたいと思います。

彼の音楽をまったく耳にしたことの無い方に、まず初めに紹介するとすれば、映画音楽としても使われた「弦楽六重奏曲第1番」になるのかもしれません。
私は「交響曲第1番」を前にして、すでに長らく頓挫していました。

もうだいぶ前のことで、一体いつ、そして誰の演奏だったのかも既に忘れてしまってはいますが、
たまたまFM放送で、晩年のピアノ小品「3つの間奏曲」を聴いたことが始まりです。


曲の第一印象としてはショパンのノクターンを思わせるものがありますが、
その音楽表現の奥深さは、明らかにブラームスのものだと今は思います。
一歩間違えれば、非常に下品な音楽になりやすいところはマーラーの音楽とも共通点がありそうです。

それは余談としても、とても澄み切った和音の連続と、重すぎず決して軽くはない響き。控えめな抒情性。
これは、私たち日本人にとってはもはや懐かしい「わび、さび」の境地です。

同時期の作品「6つの小品」と合わせて聴けば、その感慨はなおさら強まることでしょう。
けれども、そういった感性の面ではなく、知性にも訴えかけてくるのがブラームス作品の特徴とも言えます。
私は、思いを新たにし、ブラームスの作品をちゃんと聴こうと心に決めました。
それはまさに姿勢を正すような感覚です。


生涯独身と簡素な生活を貫き、一方では自らの恩人と気心の知れた友人とは親交を保ち続け、後進への激励も惜しむことがなかったブラームス。

そんなセンセイには、作務衣がとっても似合いそうです。
マーラーの音楽とはいつの日にか決着をつけなければなりませんが、
やがてあまり聴くことがなくなったとしても…
ブラームスの音楽を聴かなくなってしまうような時は、
きっとやっては来ないと思っています。


「ブラームス博士!
 あなたは今、天上の世界にあっても音楽を作り続けて
 いるのでしょうか?
 あるいは、あなたの死後の音楽の空虚さに
 歯がゆさを感じて?

 私は思います。
 あなたのような音楽家は、この世界にはどうしても
 必要な存在であったのだと!」

 作曲家 交響曲 ヴァイオリン(バイオリン) チェロ 室内楽


日付:2012年04月14日

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