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私には今、たまたま仕事があって、そこから得られた収入の内から少しだけ自分の自由に使い、演奏会にでも行けば、身も心も衝き動かされることがある。
けれども、いつそれが無くなってしまっても不思議には思わない。
音楽を心から楽しめない日々なんて想像もしたくないけれど、夢のような世界から一歩でも遠ざかれば、それが紛れもない現実である。
職を失えば、まともな食事(それもとても簡素な)にありつけるのは一日に一回、というような日々を忍ばなければならなくなる。
その上に。
今の私はとても生き急いでいるようにも思えて、
傍から見れば、滑稽にも思えるのかもしれない。
その生き急いでいる感覚の根底にあるものは…死への恐怖なのだろうと自己分析することもある。
今ここで私がもし、死んでしまったら…
周囲を見渡せば、国政から日常の隅々に至るまで足の引っ張り合い、罵り合い、そして人を貶める。
自分自身もそれに毒されてはいないか。
日本の国際競争力の低下は、いよいよ看過できないところまで来た、
デフレ経済の下で社会福祉もなし崩しにされていく。
そして、震災による癒され難い苦しみ、悲しみ。
そのような中でも、世界一であり続けたいと願う企業もある。
いつだったか、少し前に朝のニュース番組の特集で見たことがあった。
西日本にある一中小企業。
会社の規模は小さいが、エンピツ削りの刃の製造においてはかつて、世界においてもトップシェアを誇っていたのだそう。
あのクルクルと回して使うプラスチック製の、今の時代となっては非常にアナログなエンピツ削りの刃。
国内では今果たして、どれくらいの需要があるのか分からない。
かつての栄華は、安価な中国製に勢いを奪われ、経営は苦しくなる一方。
けれども社長は明るく、諦めない。
ミリメートルの何分の一なのか、何百分の一なのか、忘れてはしまったが、
刃の品質の良さを技術者の指先だけの感覚に頼り続ける。
刃を研いだ後、製品として仕上げるのは、地元のパートさんばかりでそれも皆さんベテラン揃い。
長引く不況の最中でも、従業員のうち誰もリストラなどしていないし、できないと言う。
なぜならすべてが経験により蓄積された手作業だからだ。
先日、職場の上長から指摘を受けた。
曰く、「最近、君らしくないぞ」と。
そう言われてまず、貴方は私の「私らしさ」をよく知っているのですか?
と聞き返したい気持ちが起こったけれども、
私自身の問題として、自分らしさを分かっているのか、
分かっているのなら、それを発揮できているのかと問いたい気持ちがある。
そしてそれ以来、ずっと考え続けている。
「自分らしさ」をどう扱うかについて。
私がもし、演奏できる身でもあるのなら、自分らしい表現とは何なのかと思うこともあるだろう。
今の職場でも、自分に任されていること以外に、やってみたい仕事はある。
それは自分の希望にしか過ぎないことではあるけれど、
一歩近づけたように思えて、それは束の間、大きく遠のいた。
私はすっかり意気消沈し、周囲からも心配をされる気配が漂い、それがまたプレッシャーとなって自分に返って来る。
私の「私らしさ」を知る人は、果たしてどれくらいいるのだろう?
そう思えば、孤独感にもさいなまれるけれど、
私は心静かに思う。
求めなければ、何も始まらないのだと。
作曲家 交響曲 ヴァイオリン(バイオリン) チェロ 室内楽