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目下、最大の目標は、ショパンのピアノ曲が平均律で演奏されるのが当たり前、という状況を覆すことです。
それが10年後なのか、20年後なのか、50年後なのか100年後なのか解りませんが、必ずそうなるはずだし、そうならなくてはなりません。
そういう信念に至るに至った理由はたくさんありますが、代表的なものの1つが次のかたのブログにまとめられています。
http://bit.ly/2AjryZM
「別れの曲」のイメージが変わる!? 音律の右脳改革鍵盤館♪
これに類する問題が、掘れば掘るほど山ほど出てくるのです。
さらに特筆すべきは、ショパンのピアノ曲のうち、生前に出版された曲の多くが、かなりタイプの異なる2種類の音律で、それぞれ異なった解釈で演奏可能、という驚くべき事実です。
現時点ではまだ与太話にすぎませんが、おそらく当時、ショパンが活躍したパリで主流だった音律と、祖国ポーランドで使われていた音律は、かなり異なっていただろうと推測することができます。レコードも放送も無かった時代です。楽器を運べば運搬中に音程は狂ってしまい、再調整が必要になります。パリとポーランドのように言語も文化も違い、地理的にも離れていたならば、当然、音律も事なっていたと考えた方が自然です。
ショパンがパリで成功するためには、当然ながらパリで主流の音律でうまく演奏できる楽曲を作曲していく必要がありました。そしてその期待に見事に応え、実績を積み上げていきました。同時に、ショパンは、その曲が祖国ポーランドにも届き、ポーランドの人たちにも演奏してもらいたかったに違いありません。だから、パリの音律でうまく演奏できるように作曲すると同時に、その曲がポーランドでも演奏可能なように、つまり祖国ポーランドで主流の音律でも、うまく演奏できるように(すなわち2種類の音律でそれぞれうまく演奏できるように)、工夫をこらしたに違いないのです。
そんな話が、ショパンの曲と音律の関係について詳しく調べるにつれて、自ずと浮かび上がってくるのです。しかしそんなショパンの想いについて、パリの人たちはごく一部の人たちしか気が付かなかったでしょうし、パリを知らないポーランドの人たちも気が付かなかったでしょう。
めちゃめちゃ泣ける話だと思いませんか!?
これと関係しそうな生前のエピソードの1つとして、ショパンが作曲に取り組む時、とても苦労している様子だったという証言が残っています。一方では、即興演奏でいくらでもピアノを演奏する事が出来たとも伝わっています。ショパンの作品であれば、思いついたメロディーをすらすらと楽譜に書き記していけば、それだけで需要はあったはずなのに、何をそんなに苦労していたんでしょうか!? その苦労の1つは、この音律の問題だったはずなのです。ショパンは音律の観点から見て、パズルのような難しい問題に取り組んで、見事にそれをやり遂げているんです。
また、生前、ショパンは、4台のピアノをならべて、それぞれに異なる音律をほどこさせて、弾き比べて聞かせるという事をした、という話も伝わっています。
ショパンが生前、それだけこだわって取り組んでいた音律に関する問題を、平均律だけで弾き飛ばして、いいわけがないんです。そんな事は許されません。
それが悲しいかな、そんなショパンの苦労は、天下のショパンコンクールでさえ顧みられることは無いというのが現状なのです。
そんなことが許されていい訳が無いでしょう!?
ありえないです。信じられない。
これは変えていかなくてはなりません。
変えるのです。これからの歴史を。
古楽 ピアノ