Shin3さん
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このブログ(日記)へのコメント
こんにちは
むらしんさんのこのブログを読むだけで楽しかったです。
古典は単純なハーモニーかもしれませんが石造りの会堂で歌う反響があるから深い協和が生まれてくるんだと自分でも歌いながら感じていました。
だからといって日本で古典音楽に適した環境はなかなかみあたらないですが・・・。
2020年06月12日 22時43分16秒
そうですね、当時のフランスと、現在の日本では、何もかも違いすぎます。
私は当時の音楽を忠実に再現するということよりは、当時の音楽家が、当時の環境からどのような影響を受けて、作品につながっていったか、ということに興味の中心があります。当時の事を理解した上で、現在の状況に合わせて自分なりのアレンジをするのは悪い事ではないし、むしろどんどんやるべきと思います。
2020年07月01日 19時08分14秒
たしかに、自分の解釈でアレンジすることは斬新ととらえられがちかもしれないですが
今しかできない自分にしかできない音楽が奏でられることは歴史に刻まれますね!
僕も自分にしかできない音楽を歌っていきたいと思います♪
2020年07月10日 00時33分30秒
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「ショパンの音楽記号」という本を見つけて、Web上で少しだけ立ち読みページが公開されているのだが、それだけよんでもとても面白く有用だったので、実際に買って読んでみている。
https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?...
右上の「立ち読み」ボタンをクリックすると抜粋で10ページぐらい読めます。それだけでも十分有用。
これはすごい本で、ショパンやその世代の人々が楽譜に書き残した記号のうち、現在の我々には不可解に見える記号を、何十年もピアニストとして活躍してきた人が、どう解釈してきたかについて、ピアニストとしての経験を踏まえて、著者なりの結論に至る過程が説明されている、というものです。人生の重みが感じられます。
色々試行錯誤した結果、世間一般で行われている解釈を追認する形になっている論点も多いのですが、そうではない話もあり、とても勉強になります。ショパンの演奏でお金を取るプロのピアニストは必読の本だろうと思います。
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その思考過程が記されているおかげで、「あ、そこは自分ならこう考えて、こう解釈するぞ」ということができるのがこの本のすばらしい所。
私の場合、古典音律を長いことやっているおかげで、「そこはこう考えるべきだな」ということを自信をもって言える論点がいくつかあります。
■ ショパンの指示通りにペダル操作をすると、響きが濁る問題
一般には、ピアニストの判断で、適宜踏み変えを追加して、響きが濁らないように工夫するのが一般的です。もしくは、和音のバランスをよく考えて、濁りの原因になる音は、ごく弱く演奏したりします。しかし、これが、古典音律だと違う印象の響きになり、違う結論が導かれます。
・平均律の場合
→デフォルトで協和音があまり美しくない。(特に3度音程) その上さらにペダルで響きが濁ると、ただ不快な響きという印象になってしまう。
・古典音律
→デフォルトで協和音がほぼ純正に響く。綺麗に響くが、のっぺりとした印象で緊張感に欠ける。その状況でペダルで響きが濁ると、適度に緊張感がプラスされて、むしろ音楽をひき立てる効果を持つ場合もある。
私の個人的な見解でしかありませんが、おそらくショパンは普段は平均律は使ってなかったはずです。けっこうクセの強い音律を使っていた可能性が高いです。ですので、そのペダルの効果が何を狙っていたのかは、音律も考慮しないと、本当のところはよくわからないと考えるべきです。
「ショパンのペダルはクレイジーだ」なんていう人もいるそうですが、それをいうのなら、私に言わせれば「クレイジーなのはショパンを平均律で演奏することの方だ」といい返したくなる衝動にかられます。
ショパンの時代の古いピアノに注目が集まっています。楽譜に記された不可解な記号をどう解釈するか、という疑問に対する答えが求められていることも、その1つの理由ではないかと思うのですが、そのような古いピアノを何千万とか何億とかかけて修復する割には、そこに施される音律はあいかわらず平均律だったりするのです。たいへん残念なことです。
■ 演奏環境の違い。部屋の残響の違い。
それともう1つ、残響の問題があります。現在のピアノは十分に音量が大きいので、練習に使う部屋の壁は、かなり吸音を考慮して作られます。もし床も壁も天井もコンクリートの部屋でピアノを練習するなどとなったら、響き過ぎて演奏者が難聴になってしまう恐れさえあります。
平均律は残響の多い部屋には適さないことも、現在は吸音が重要な理由の1つでしょう。大きな教会のような残響の多い場所に設置されるパイプオルガンは、現在でも平均律ではなく古典音律が施されます。残響の多い部屋では、和音の響きが美しい古典音律の重要性が増すのです。
ショパンの時代、立派な石造りの建物だったならば、かなり残響が残る部屋も多かっただろうと思われます。ピアノの音量はまだ小さかったので、吸音材で音量を減らす必要などなかったのです。それに加えて、残響の多い部屋でも美しく響く音律が用いられていました。そういう環境でのペダルの効果というのは、現在とはかなり意味合いが違ったのではないでしょうか。
ペダルを踏まない状態で、すでに十分な部屋の残響がある場合、そこでさらにペダルを踏むと、残響過多で音がぼやけてしまうことでしょう。その効果というのは、ペダルを踏むと「遠くから聴こえてくる感じ」、ペダル無しだと「近くで鳴っている感じ」という、空間的な奥行きの表現に利用することができます。ペダル無しで前景を、ペダル有りで背景を描写する、というように使い分けることができるのです。
ショパンの曲では、最初ペダルを使って、2回目に同じフレーズが出てきた時にはペダルの指示が無い場合があります。一般には、これは2回目だから省略したんだろうと解釈してペダルの操作が追加されたりします。それを、残響の多い部屋で、指示通り2回目ペダル無しで演奏すると、だんだんピアノの音が近づいてくるかのような演出効果を持つわけです。 もし、1回目がペダル無し、2回目がペダル有りだったら、だんだん遠ざかっていくかのような効果になります。
もっとも、ショパン自身、必ずしも楽譜の指示通りにはペダル操作していなかったという証言も多くあるようで、そこまで厳密に縛られる話ではないのかもしれません。ただ、「ショパンの指示がおかしい」という理由で、ペダル操作を安易に原典版の楽譜の指示から変えるのは軽薄です。我々の考えが足りないだけである可能性を、もっと考慮すべきと思いますね。
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