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教育だけのせいではないですね。なぜならレオポルトの娘や他の弟子たちは決して天才ではなかったですからね。天才はもって生まれた天性の素質も非常に関係します。
2008年08月02日 16時50分34秒
Kan-noさん、ご指摘のようにレオポルトの息子のように「もって生まれた天性」がなければ・・・と思います。
それにしても、父が「他の弟子」を教えていたことは、私はこの本をもって初めて知りました。この弟子を他書で知らべたところ、マルシュとかいうレオポルトの数少ない親しい友人の子供たちのようでした。
石井さんは『素顔のモーツァルト』という本も書いています。晩年のレオポルトは、この本を読むと、いかにも「今ぞ晩秋先立ちた妻を思いこの冬をいま一度過さんか」と哀れに思えます。
2008年08月04日 23時10分31秒
どうも日本人の早期教育というのは教育の質だけを考えるようですね。質は言うまでも良くないといけないですが、天才を育てるのは更に持って生まれた才能でしょう。じゃないと鈴木ヴァイオリン教室は天才しか出ないことになりますね。現実は必ずしもそうではないですね。できる子、できない子、それぞれです。
2008年08月05日 00時40分58秒
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『モーツァルトは、放っておいても、いずれは・・史上の天才たちと同様に、大人になる過程とともに見事な音楽の書き手になったことであろう。しかし、彼のケースが特別なのは、レオポルトという親が、この子を天才として認識に、神童として教育し売り出そうという固い決意をしたことにある。・・・中略・・・
では、どうしてそのような神童創出の意欲が彼に生まれてきたのだろうか。そのエモーションの由来が本書の眼目である。』
作者の石井宏さんは、御歳78才、戦後のあまたのモーツァルティアンの中でも「四天王の一人」にも数えられるというべきという方である。
本日も「盛夏の勢い」が戻り、我が家のステレオもヒートアップ気味である。しかし、ランニング一枚、短パンなどはいて、エリオット・ガードナー指揮の『魔笛』を聞いている・・・。
ホグウッド、ベーム指揮のものも借りてみたが、このガードナーの出だしで大蛇ではなくライオンに追われるタミーノが登場するという異色の演出の『魔笛』の音楽に、一聴魅せられて「これぞ神童のかっとぶリズム」とご納得である。
神童の父レオポルトは、「厳格な監督者であったか?」かつてのプロ野球ライオンズのベジタブル主義の監督のごとく、選手に「遠征時に夜の外出を禁止する」ほどの禁欲主義者であったか?
『さに非ず』、彼は一介の製本職人の息子に生まれながら、天性の知的能力を認められ、ギムナージウムからザルツブルク大学にまで、給付学生として進学できるほどの「傑出した」知性の持ち主であった。
されど、貴族の血族に生まれというだけで、俗物どもが支配する貴族社会の壁に阻まれて、「栄達の志を果たせなかった」敗残者である。同じ境遇でも、フランスのボーマルシュのようなわけにはいかなかったのだ・・・。
彼は無意識のうちに革命家の精神を抱いた孤高の禁欲主義者、勤勉と平身低頭して貴族社会の礼節をわきまえる現実主義でもあった。(まるで「フィガロ」である)
エリオット・ガードナーの『魔笛』には、「夜の女王」役に新人のシンディア・シーデンなる若手が起用されている。例のコロラトゥーラなどを聞いていると「うっとり」するような透明な声の持ち主である。姿かたちもおそらく、NHK朝ドラのヒロイン沢口靖子みたいかも知れない・・・。
レオポルトも二十歳半ばを過ぎ、適齢期を過ぎた頃に、とある「取り持ち婆」に「花も恥じらう」アンナ・マリアを紹介された・・・。おお!忘れていた「人間の肉体を目覚めさせてくれる」純情な乙女よ。結婚を境として彼は変った!(こうなると「フィガロ」から「パパゲーノ」への変身である。)
エリオット・ガードナーの『魔笛』のCDは、勝れてレコード芸術の体現音楽である。「ヤヤー、ヤヤー〜」と歌うタミーノの声は、気品があり、宮廷劇場向きといえようか。間違っても、旅芸人のシカネーダのパパゲーノが主役となるような「ドタバタ演劇」向きの音楽とはとても思えない。
父レオポルトの「実像」を真・善・美の貴族趣味をもった人物として小説風に描く石井さん、ちと、堅物のレオポルトを多少「ロマンチックな悲劇のヒーロ役」に描きすぎてはいませんか?しかし、『そうであってほしい』とも願うのは、私のひいき目であろうか
作曲家 チェロ