XP太郎さん
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このブログ(日記)へのコメント
結構長い解説だねー。読むのに疲れる。しかし、仲道さんは、「おしゃべり好き」な方のようだから、多少の注文は付けただろうね。
辻井君のコンサートは「完売」か。松戸辺りでも祝賀公演か?大変だなー。
2009年06月29日 10時11分02秒
そうでしたか。間違いなく日本の女性ピアニストの中で、中村紘子さんの後を継げる方ですね。
2009年06月29日 20時34分57秒
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現代の日本の代表的女流ピアニストの一人、仲道さんのリサイタルをようやく聞くことができた。松戸の21世紀の森のホールである。音響機器を使用しない本来のピアノ演奏であったことが嬉しかった。
演目は以下の通り。
第1部
1)幻想即興曲嬰ハ短調
2)ポロネース第11番ト単調(最初の出版作品)
3)ノクターン嬰ハ短調(レント・コン・グラン〜)
4)エチュード「革命」ハ短調
5)エチュード「別れの曲」ホ短調
第2部
6)バラード第1番ト短調
7)前奏曲「雨だれ」変ニ長調
8)ワルツ「子犬」変ニ長調
9)ワルツ第7番嬰ハ短調
10)マズルカ第51番ヘ短調(最後の作品)
11)ポロネース「英雄」変イ長調
このリサイタルは「仲道郁代 ショパン鍵盤のミステリー」と題打っていた。
料金が安く設定されていたので、1800人の大ホールは8割位の入りでした。ニ階席には、女子高校生や小さな女の子を連れたお母ーさんたちの姿が目につく。
何が「ミステリーか?」と考えるのも面白い。2時間10分位のだったかなー。半分は、仲道さんがコーラスの楽譜風の「虎の巻」を片手にしたトーク。途中で、クイズが3,4回入った。
1)の幻想即興曲では、ショパンの作曲家としての工夫が紹介されていた。主題ともいうべき「明るいメロディー」が実は、出だしの短調のメロディーを長調に変えたもので、最初の段階で聞く人たちになじませておいて、あとで「安心感」を与えるという隠れた意図があったのですよ・・・、とか、(えらく高級な話から始まったものである。)
私は、彼女がいつもの「巻き毛のお姫さま」風のスタイルではなく、紫のドレスに髪を下ろしたサラ・ブライトマン風の「マダム・郁代」が出てきたことに驚いたのだが、椅子に座るや否や左手を高く構えて、降ろすと同時に、しなやかに引き出したものである。さしずめ「ドレスに身を包んだショパン」かな?
彼女が「キュートな美女」であることは、間違いないのだが、弾いているときの姿も美しい。きちんと背筋が伸びていることが、これに一役買っている。(他の日本のピアニストも多少は見習ってほしいものだが・・・)
2)はショパン7歳の時の作品、10)の最後の作品と対照させている。3〜5)はポーランドを出て、パリに行くまでの作品。祖国、ポーランドの政治的悲哀が作品の中にも現れていると言いたいのだろうか。有名な(?)ワルシャワ陥落の報を聞いたショパンの嘆きの手紙の一節が、長々と朗読される。
白い、スレンダーなドレスに着替えて登場した後半でしたが、6)の「バラ一」は、ショパンのパリでの絶頂期の作品として取り上げられていたと思う。ショパンの「一回のレッスン料はいかほどでしょう?」というクイズが出る。小さな女の子が「一万円」と答えるが、答えは「20フラン=約7万円」。
ついでに、こんなにも高額なレッスン料を得ていた「ピアノ教師」(ショパンのビザの「職業」とか)でしたが、「白い絹の(使い捨て)手袋と高級馬車のために、お金が消えてしまうのでした。なぜ、使い捨てにするのでしょう。当時の貴族の館には、お手洗いがなかったようです。また、人前で素肌を見せることはエチケットに反することで、香水が必需品でした。白い手袋と香水、なにか結びつきがありそうですね」と。
7)、8)はジョルジョ・サンドとのマヨルカ島での「さんざんな避暑旅行」の話のあとに演奏された。(「何が言いたい?」)女性でありながら、男装してパンツと葉巻をくゆらせるサンドとの「結婚生活」にはプラスとマイナスがあったということなのだが。
9)、10)はサンドとの仲が破たんしてゆく過程で作られた作品。最後のマズルカは「すでに健康を害し、経済的にもゆきずまりかけていたショパンが、リサイタルを開き窮地を挽回しようとしてしていましたが、もはや、祖国の音楽のリズムすら忘れかけているショパンの、言いようのない暗い「無調性」を漂わせた不思議な作品、ひょっとして後のワーグナーを予感させる・・・」(えらく高級な話が再度出てくる。)
ここで、最後のクイズ。ショパンは18年間のパリでの生活で、何回コンサートを開いたでしょうか?答えは「たった10回。でもパリの貴族たちの間で、予約券はたちまち完売状態になりました。ああそうでした。それに比して、ショパンの友人でもあった、イケメン・ダンディのリストは8年間で1000回のコンサートをこなしました!」
11)最後の演目、これは「解説なし」。彼女の演奏テクニックを披露するもののようだった。
アンコールはエルガーの『愛の挨拶』。
思うに、ショパンの生涯を辿った作品をずらりと並べたこのコンサートの企画に、仲道さんはどれほど関わっていたのだろうか?コンサートの案内パンフレットをよく見ると浦久俊彦というチーフ・ディレクターの名前が印刷されている。案外、この人が裏方さんとして活躍していたのかな。
『美女とおしゃべり−−−子どもからお爺ちゃんまで楽しませる』こうなると、白い美しいドレスに身を包み、肩を丸出しにした「鍵盤のドン・ジョバンニ」風なのだが。
作曲家 チェロ