ユリバードさん
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俗に言う「先入観」?
人間はいつの時代・いつの世代でも「柔軟性」が必要ですね。歳を取るとなかなかそうは行きにくくなるものですが、自分も含めてがんばってやっていきたいと思います。
2006年06月12日 16時27分05秒
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雁などの鳥類での実験で実証された“刷り込み”。
→「最初に見たものを子供の鳥は親鳥と認識する」
われわれは鳥ではないのでありますが、幼少期に限定せず、いつ何時でも「刷り込み」体験をしているものと思われます。
例えば、初めて(全く予備知識がない状態で)の曲を聴いた時の演奏。これも「刷り込み」の一つと言えましょう。この演奏がよほどに甚だしく自分の好みから逸脱していなければ、その時の演奏のニュアンスが、漠とながら自分にとってのスタンダードと定められるような所があると思うのです。
わたくしはセザール・フランクのヴァイオリンソナタをオイストラフとリヒテルの演奏で聴いたのですが、無条件に(何故だかわかりませんが)この演奏を気に入っていて、今も尚、他の演奏家の演奏するこの曲を聴くと、感動はしていても、どこかでオイストラフ達のそれと比べてしまっていたりします。
ある程度の年齢になってもこのような状況が起こる訳ですから年齢が低ければ、刷り込みの影響は誠に大きなものとなるかと思います。「三つ子の魂、百まで」まさに、そうなのでありましょう。
わたしは以前、自分の発する言葉の影響力にそら寒くなった事があります。
幼児にC−durのスケールを用いて音高を教え、併せて五線上に各々の音符を書く事を教えていた時の事です。
「線と間」これが認識できた後であっても、正確な位置とフォームで音符を書くのは、小さな子供達にとって容易ではありません。
ある子供が書いていた「間の音符」、ファやラが線に触れず空中に浮かんでいるような書き方をしていたので、わたしはあるイラストを書いて説明をしました。
まず音符に顔と手を書きました。顔の表情は「うーーん」と汗を流し辛そうに、そして手は上下の線を押し広げようとするような格好にかきました。最後の仕上げは
音符から吹き出しをつけ「キツイよー」と台詞を書き込みました。つまり線と線に○がしっかり密着していないとダメなのですよ、ということを子供に伝えたくて、このような試みをしました。狙いはドンぴしゃり、その後その子はゆるゆるの間の音符を書くことはなくなりました。
しかし!
2年くらいして、とあるピアノの先生がいきなりわたくしに尋ねてこられました「ねえ、きつい音符ってなあに?」そうです。ピアノの個人レッスンを受けるようになった、かつての子供が2年経過した後も「間の音符」を「キツイ音符」と語っていたのです。ピアノの先生は、奇妙に思ってわたしに聞いてきたという次第でした。
うーん、軽い気持で発した言葉だったけれど、そこまでに最低一人の子の脳味噌にインプットさせちゃったかー、と少なからず動揺しました。「うー、下手なことは言えないな」
作曲家 声楽 ピアノ 金管楽器 ホルン