ユリバードさん
月別ブログ(日記)一覧
8件のコメント
1
このブログ(日記)へのコメント
> 日本語は「歌う、という行為から最も遠いポジションで話す言語」とよく言われます。
なるほどね。そんな言い方がありましたか。でも「邦楽」と日本語のしゃべりとの間の関係はどうなんでしょう。そこも遠いのかな。
> それだけに「台詞」→「歌」、または「歌」→「台詞」という連結が極めて難しいであろうと思われることでした。
これもなるほどです。日本語オペラ全般に疎いのですが、たしかにそういうことが、大きな問題として出てくるでしょうね。
タカラヅカなんてどうなんだろう。そういう問題をどう解決しているんだろう。近くに住んでいながら関心がなくて、何も知らないのですが…。まあ、地のセリフ回しは、ユリバードさんが作品で求められているものとはちがうだろうなという気はしますが。
2006年10月27日 21時51分53秒

あはは!宝塚は多分、全部が見事なまでに「非現実」だから、地の果てまで「大げさ」な語り口であっても、それなりにまとまった感じになってしまっています。ああいう世界だからこそ、好きな人も多い気がします。
小さい頃=小学生の頃=、知人に宝塚フリークがいた関係で、何故かすごーく繁々と観劇しました。
あの「ベルばら」など全ての組の演目を見ましたから!通産30回位は行ったと思います。
ある意味ああいう独特で固有の世界を確立してしまえば何でも「あり」になるとも言えましょう。
でもオペラの場合、あくまで「原型」があって、それを他国の言語で上演するという時に、少なからず解消しがたい問題が発生するのだと思うのです。
わたくしとしましては、やはり日本語は日本語のポジションで話し、外国語の曲は、その言語のポジションで歌うという制御能力を持つ歌手が増えていったらよいのにな、とひたすらに希望するのでありました!
そして。邦楽と日本語の関係ですか。邦楽といっても器楽の部分と声を伴う曲の部分では性質が違うと思われます。
声の部分で語る邦楽の中の日本語は、やはり、今日使われている日本語とは異質でしょうが、他国の言語との間で生じるような「ポジション」云々の問題よりは、隔たりの少ない同志ではないかな、と、想像します。
邦楽の専門家にそのあたりの事情をお聞きしてみたいです!
2006年10月27日 22時18分57秒

> わたくしとしましては、やはり日本語は日本語のポジションで話し、外国語の曲は、その言語のポジションで歌うという制御能力を持つ歌手が増えていったらよいのにな、とひたすらに希望するのでありました!
問題はここに尽きるのでしょうけれど、日本語ネイティブがドイツ語ならドイツ語を習得して歌もセリフもすべてドイツ語でやるよりもはるかに難しいことを要求しているわけですね。しかしたしかにこれ、セリフ日本語でオペラをやるのであれば、本当は必須の能力なのかもしれないなという気がしてきました。でもそんな教育やっている声楽科なんてないでしょ?
2006年10月27日 22時29分04秒

はい、多分、皆無だと心得ております…。
2006年10月27日 22時56分08秒

そこらへんは専門の先生方に工夫していただかなければいけないということになりますね。これはあっちの、「本場」の(あ〜気持ち悪い言葉だ)連中に学ぶわけにはいかないし。
しかしまた日本語を日本語のポジションで話す、と言っても、ふつーの話し言葉とは違う発声になるはずで、つまるところ新たな発声スタイルの発明になるのではないですか? いや、すでにユリバードさんが「できている」と認定している方々もあるんですね…。たぶん非常に微妙なバランス点があるのだと思いますが、どんな感じなんでしょう。もちろんできている方々の実演を聴くのが一番ですが、あえて説明するとすれば?
2006年10月27日 23時35分29秒

言葉で御説明するのはなかなかに難しく感じられますが、そこを無理に致すならば…!
「ベルカント」っぽい発声で話さない、これに尽きます。
アリアを歌ったまんまのあの声で歌わないのがまずは大原則といえましょう。
そして「フツー」の日本語の会話との違いについてです。
フツーの会話を普通の人がすると、浅い呼吸で=腹式呼吸ではなく=行っていることが多いと思うのです。ここである種「矛盾」を覚悟で提案しますなら「腹式呼吸を行った話し方で胸で呼吸しているような“浅い’呼吸の人がする話し方を目指す」というような形でしょうか。
あまりに腹式呼吸ばりばりで話すと、もうそれだけで立派に「フツー」でない雰囲気が醸しだされてしまう。
政治家や教壇に立っている人、つまり日常的に複数の大勢の人に向かって話をすることを職業にしている人、はたまた「ヨガ」など複式呼吸を意識する練習を行っている人なら、ごく自然に複式呼吸で過ごすことができているでしょうが、そうでなければ、大体は浅めな呼吸をしていて、そういう方々はその浅い呼吸でのポジションで話をしていると推察するのです。
ですから、ごく「普通の」雰囲気を出す台詞には、そういう点を「狙って」行わないと、さりげない「普通さ」が醸しだされないように思うのです。
最もイタリア語、ドイツ語で書かれた王道のオペラならば、大いに物語の内容は「非現実」でありますから、前述のような「普通さ」は演奏家に求められないかもしれません。
でも、少なくとも日本語のオペラ=日本語で書かれたものを十派一からげには出来ないものの=ならそれらとは趣向は異なりますし、独自のセオリーを使わなくてはならないと思うのであります。
そして、このわたくしが今後書いていきたい、と思う声楽作品でも、そういった「普通の」喋りを動員させたいと思うのです!
2006年10月28日 22時47分47秒

それは方法として確立できればもしかしてものすごい発明になるのかも。
いや、日本語の演劇での発声方法というのは、これまでにいろいろあるわけですよね(タカラヅカ以外にも)。もしかしてその中に「使える」ものはないのでしょうか。僕は芝居にはまったく疎いのですが…。
2006年10月28日 22時57分38秒

そうですね。ま、能、狂言、歌舞伎などの古典芸能での喋りは別物として、所謂現代的な日本語で進行することが基本の「芝居」にも、多分色々ありそうです。
ここ=MUSE=には「演劇」の専門家らしき方はあまり登録されていないのでしょうか?
もし、いらっしゃるなら、是非、その筋の方々の御意見なり伺いたいな、と思います!
2006年10月28日 23時03分48秒

8件のコメント
1
トラックバック
このブログのトラックバック Ping-URL :
http://www.c-music.jp/tbblog.php?id=1576

Museカテゴリー
フリーワード検索
【再掲】
合唱と吹
奏楽
先ほどの投稿は後で削除します・・・(ブルーベリーさん)

合唱と吹
奏楽
ものすっごく久しぶりの投稿で・・・(ブルーベリーさん)

下倉楽器
私が良く行く楽器店です。バス・・・(星のジュウザさん)

Ito_orc
さん
ピアノ20年ほど習ってました・・・

ミルキー
さん
自分では楽器は演奏でません。・・・

ユウさん
はじめましてユウです。ピアノ・・・

シャルル
さんのお
墓参り
令和5年2月20日にシャル・・・(歌の翼さん)

4/26sat.
ディスカ
ヴァ・・・
30年以上に渡り音楽を通じた・・・(Nobue Kanekawaさん)

【来日4
0周年記
念】ミシ
ェル・・・
現代フランスを代表する巨匠ピ・・・(Ito_orcさん)

昨日、以前作品発表した自作曲を別のイヴェント用に改造した版で演奏を披露する場がございました。
そこで感じた事を…。
日本語で「音楽劇」なり「オペラ」なりを演ずる時特有のアキレス腱を感じました。
日本語は「歌う、という行為から最も遠いポジションで話す言語」とよく言われます。
それだけに「台詞」→「歌」、または「歌」→「台詞」という連結が極めて難しいであろうと思われることでした。
一部の歌手は、ご自身の声を思うが侭に制御でき、どんなポジションにも瞬時に飛べる方もいらっしゃるのでありますが(わたくしの存じている方にも存在するので)、大勢の歌手が、その部分に多少なりとも苦労をしているようであります。
昨日御一緒した女性の歌手は、特にそれがあまり上手くいってないやに見えました。
歌を歌ったままのポジションで台詞を喋ろうとする。すると「オホホホ、いやだわ、おくさまー」というような台詞しか似合わないような、あの特有の声で話す羽目になります。
演奏する音場が大変響きのよい=頃合の残響=ホールだったりしますと、そういう声では、何を話したのか、聴衆には全く聴き取りにくく、台詞の意味をなさないのであります。いっそ全部歌で伝えた方がまだまし、という事にさえなります。
特に曲の題材が「非日常」的なものならまだしも、非常に「普通の」人間の営みを表した様なものですと、あのような発声で話す台詞は頂けません。
外国語のオペラを日本語上演する際、レチタティーボの部分は、歌うのと同じ感じで演じる訳ですが、完全なる台詞においては、やはり「話す」=普通の会話に近い感じで=という感覚から逸脱してはならないように感じます。
音楽を停止、または中断して「台詞」にしている場面は、物語の進行上、重要な内容を担っていることも多く、そこにおいて、何を言っているのかわからないとなれば、大変残念なことになりましょう。
あらためて、歌手にとっての「日本語」に関して考えさせられました!
作曲家 オペラ∩声楽曲 ピアノ 金管楽器 ホルン