Shigeru Kan-noさん
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この演奏団体は1992年に設立されているが、その前任者のシュトットガルト・スコラ・カントゥルムの解散時期とほぼ重なる。自分がシュトットガルト・スコラ・カントゥルムを始めて知ったのは現地ではなくて、今から20年も前にORFがウィーンに招いて無料で放送局でコンサートをやり、シュネーベルのAMNなどを紹介した時である。その時の現代合唱書法のショックは計り知れない。シュトットガルトに移った時もスコラ・カントゥルムに接しはしたが、当時は主な合唱曲の活動がSDRに移っていてまともに聴いたのはその解散コンサートぐらいである。しかしながらそのプロフェッショナルな上手さはSDRの比ではなかったと記憶されている。当時はマンフレッド・シュラィアーのシュトットガルト・ノイエ・ヴォカリステンやマルクス・ヴォカール・アンサンブルなどで現代合唱曲の供給過剰の時期でもあった。しかしどれをとっても残したい一面はあった。今あるのは放送局のとシュトットガルト・ノイエ・ヴォカリステンぐらいであろう。文字通りスコラ・ハイデルベルクの指揮者はマンフレッド・シュラィアーの弟子である。棒は余り上手いとはいえないが、M・シュラィアーのように現代曲を本気になって集中するのでかなり珍しいタイプでもある。残念ながら昨夜はそのシュトットガルト楽派のコピーとも言うような余り印象が深い演奏とはいえなかった。
ジェズアルドを最初に持ってくるのはトットガルト楽派の演奏団体がいつもやることである。アンドレア・ノッジのクラリネットによるシュットクハウゼンの「Amour・愛」の全五楽章をバラバラにして入れている。彼らしいユーモアと愛の表現だがソロの音楽の為に筆者はこの作品はまともに聴いた事がなかった。全曲26分かかるが、編成が派手ではないので目立ちにくく余り取り上げられないのであろう。
その次のケルン音大理論科教授フリードリッヒ・ジェッカーの「水、バラたち」の委嘱初演は完全なる失敗であろう。単なる無調・点描曲。今時何のために?その原因は放送局の地位を優先する委嘱順送りの姿勢であろう。これらの費用の全てを放送受信料として払っている聴取者もこういう目に見える失敗に関してはどんどん発言すべきであり、責任を問うべきであろう
最後のクロード・ヴィヴィエールはシュットクハウゼンの弟子だったカナダ人だが、1983年にパリにて殺されるという経歴が特に目を引く。見事に師のユーモア精神を引き継いでいる。今も健在だったらどんなに大成していたか計り知れない作曲家である。
後半のジェラルド・グリセイはこれぞスペクトル楽派の中心人物らしく、ちょっと意外な序の次に倍音のパルティータをやるのはおなじみの作業。長い間ブーレーズのドグマに押しつぶされていたのでこの人の52歳での『妖精』も惜しまれる。他のフランスの作曲家と違うのはコンセルヴァトワールの前にドイツのトロッシンゲンで勉強している事。最近はこう言ったフランス語を一旦棄てたフランス作曲家の台頭が著しい。彼の「愛の歌たち」はグリセイを学ぶ上では教科書的な雛形であろう。倍音あり、リズムの移動あり、電子音ありだが、最後の電子音は余りにも大きすぎなくなかったか?何のためのクラング・レギーなのか、生の声がほとんど聞こえてこなかったのは非常に残念だった!
菅野茂
作曲家 指揮者 現代音楽 ピアノ 交響曲