Shigeru Kan-noさん
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16時からの前回に引き続いて弦楽四重奏曲ほとんど同じ作曲家で、これがどうここの音楽大学と結びついているのかわからない。偶然かもしれない。
クルタークの作品は「6つの楽興の時」という別の作品。演奏団体もジャック弦楽四重奏団。アルディティSQ以後の現代音楽専門の世代が公共放送の協力によって大きく確実に育っている。
ミカエル・ジャレルの「震えから・Aus Bebung」は今回のテーマにぴったりの作曲家。その第二版にあたるクラリネットとチェロの作品。終わりに「音色リズム」が見られるが、クルタークにもあった。これが1996の作品でクルタークが2005年の作品なので単に彼の模倣とは思われない。最近の現代音楽の流行のひとつであろう。
休息をはさんでのラッヘンマンの3番は知る限りWDRでは少なくとも2回目の放送録音となる。そのドイツ初演に当たる数年前のアルディティSQにもヴィッテンで立ち会ったが、2回目の鑑賞はもう中身がわかっているので、もう理解に伴う苦痛は感じない。やっぱり傑作の第2番を大きく超えた作品ではないことは確かだ。スター作曲家の特権かこの曲はFM放送ではもう数回かかっている。
放送局のコンサートが終わってからも「現代音楽祭」が続き、マーノス・ツァンガリスの作品「分離した作品」が数箇所で同時演奏。しかし多くの徴収の定員が一人から二人の2分から3分のパフォーマンスなので並ぶ羽目になった。「パタノスター」だけはエレベーターの中での演奏でドナウエッシンゲンなどの普通のパフォーマンスに見える。次は定員一人の2分間の「昔の玄関口」ではクラリネットのお姉さんが耳元でいろいろな打楽器も含めて音響のサーヴィスをしてくれる空間音楽。目の前にはおかしな顔の「守衛」のおっさんがこちらを怖い顔で睨んでいる。照明付の一種の音響マッサージ屋さん。2番目の「ピアノ・アトリエ」も定員一人でまた行列。ヴィデオ・照明・打楽器付。また暗闇に一人だけ座らせられるので床屋さんに行った感じ。またいろいろな音のサーヴィス。上・後ろ・右・左・前と打楽器が飛び回る。そして変なヴィデオ!3番目はラッヘンマンが前の列に入れてくれた。リームのコンサートはあまり煩いので耳が壊れるらしく、いつも行かないので彼には時間があるのだ。グロボカールが最近彼らは離婚したとか言っているのでどこに住んでいるか聞いたら、「レオンベルク」!イタリアじゃないのか聞いたら「そこも住んでいる」ということは問題なしのようだ。この「上のロビー」は歌による音楽のマッサージで打楽器ヴィデオ・照明付。あまり近づきすぎて彼女の声の息や紙が耳に振りかる。帰り際にラッヘンマンがまた日本語で「どうだった?」、「床屋さんのようでサーヴィスがとても良かった」。あの人は余りに日本人と付き合いすぎて日本語を使う癖がいつまでも直らない。最後の定員二人の「玄関で」はもう並ぶ時間が無いので外から拝見。二人座らせて両方のサイドからヴァイオリンとヴィオラ・打楽器・照明で「聴衆」を攻めまくる2分間。外では黒人とドイツ婦人が変な「脅し」を仕掛ける幽霊屋敷?
7時からは8時からのコンサートへの作曲者の解説。ジャレルはいつも自身がなさそうで頼りが無い口調なのでリームの自身に圧倒されっぱなし。
8時からはリームの「流れる交響曲への一楽章」第三番。これは自分は12年前にシュトットガルトでゲネプロから本番までの初演を聴いているがやたらと煩い曲なので繊細さが取り柄の日本人の趣味には合わない曲。ソラブジほどじゃないとしてもその超巨大さにはいつも目を見張る。4管編成で7のトランペット6つのクラリネット。ラッヘンマンと同じように初演のときよりも楽に聴けた、でもとにかくffffの連続なので煩い。本来は全5楽章で90分かかるそうだ。
二曲目のジャレルのさっきのデュオの二重協奏曲への編曲で一種のWork・In ・Progressとみていいだろうが、予定していたとおりに必ずしも成功して無いとケルンの音楽評論家が言っているのは間違いが無い。なんとあのデュオの原点版は室内アンサンブルの伴奏がついているらしい。それをデュオに直して、そしてまた今回オーケストレーションしなおしたわけだ。だから第3稿目。同じデュオの演奏家とケルン放送響で同じ音楽。
最後のベアト・フューラーは20年前はウィーンでラッヘンマンの模倣ばっかりしていてちっとも冴えなかったが、数年前にヴィッテン現代音楽際のソロ・ピアノ曲でまれに見る成功をした。今回もピアノ協奏曲なので期待されたが、そのとおりピアノ曲がたいした特殊奏法もしないのにとてもオリジナルに聞こえてくる作曲家も今時とても目面しい。明らかにラッヘンマンからの完全脱却とピアノ曲のアイデンティティーの完成である。
以上はラジオ実況中継で解説も同じ内容ライヴ。ケルン・フィルハーモニーにいつものように咳止めの飴玉がウイーンのコンツェルト・ハウスのように用意してあるのだが、それでも自分の風邪が治らなくて苦しいので、明日以降は生をやめて自宅のFMの生放送で書きたい。
菅野茂
作曲家 指揮者 現代音楽 ピアノ 交響曲