Shigeru Kan-noさん
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デュセルドルフのトーン・ハレは昔から音響が悪い事で評判だ。どのぐらい悪いのかはじぶんで確かめるに限るが、長い間シュトットガルトのリーダー・ハレで苦しめられて慣らされてきたのでちょっとやそっとの音響の悪さではもう驚かない耳になってしまった。という事で元のプラネタリウムを改築しただけのホールは形から行っても音響は悪いに決まっているので、結局のところそれで驚く事は無かった。けっしてびっくりはしなかったがしかしながら良い音響とお世辞にも言える程度でもない。
デュセルドルフ音大でオーケストラ・合唱・7人のソリストで固めた陣容は児童合唱だけがエッセンのドームからの借り物だ。曲自体は難しくないが小学一年生あたりからフランス語の歌詞を歌わされるのは全く負担にならないようだ。ここにも「外国語はヴァイオリンやピアノと同じように早期から」の格言が当てはまる。その他は東洋人が多い。4人のホルン全員は東洋人、5人のコンバスの内3人は東洋人。7人のソリストの内3人は東洋人。多分名前からしてほとんどが韓国人であろう。国策?といえるほどにどこでも韓国人は多い。指揮者の合唱科の教授のライムンド・ヴィッパーマンは2月にケルンでメシアンの「主キリストの変容」を振っている。彼のプログラムの選び方は画期的だ。聴衆に頼まれなくとも自ら行って聴いてみようという気にさせる。
曲はもうリリングのCDでおなじみ。ワーグナー時代のロマンチックな曲だが転調と循環形式の大家である。様式的にはリストやメンデルスゾーンに近いだろうが、テーマ的にはスクリァービンのような死後の世界のような音楽である。オーケストラがプロと違って多少濁っているのはドイツではどこの音大でも同じ。田舎も都市部も余り差が無いので反って抜きつ抜かれつの競争が激しい。合唱はケルンのようにオーケストラに近く伴奏武との分離が悪い。少なくともオーケストラの雛壇は一段以上下げるべきであろう。いつものように大体管弦楽と同じ人数だが楽器の方が強力に決まっているのはドイツではどこでも同じ。倍以上の人数の合唱は必要であろう。トランペットは4管でコルネットを使っていない。これだけでもフランス風の音色からは程遠い悪い習慣である。ましてロータリー方のバルブは今日3Satのテレビでウィーンのトーンキューンストラー・オーケストラがガーシュインでピストンのトランペットに持ち替えたように、フランス物にはご法度にするべきである。
曲は一時間あまりの最も美しい部分が過ぎたとこで第一部が終わり休憩、その後第二部が70分ぐらい続く。なかなか画期的な演奏である。
次の日はジークブルクにフンパーディンク音楽学校主催の「家庭音楽」鑑賞会が市内のホテルであった。どうもないよう主義しすぎてプログラムを作っていないのでここの曲について言い寄るのは避けたい。編成はフルート四重奏からピアノ・チェロ・歌など新作を披露した物である。ジークブルクは現代作品の初演に力を入れていて地元の音楽学校と協力してもう20年にもなり、これからもなお新しい財産が積み上げられていく事になるであろう。残念なのはWikipediaにはあるのだがWDRなどの放送局の関心がまだ無い事だ。隣のボンのコンクールのように新聞などもこぞって書くように独自性を持てばこれからも更なる発展の余地はあるだろう。
菅野茂
作曲家 指揮者 現代音楽 ピアノ 交響曲