Shigeru Kan-noさん
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このブログ(日記)へのコメント
やっぱり、音楽が盛んな国なんだなと思う見逃せない記述は・・・これ・・・
「・・・知名度がかなり低いのに・・・」、
そうですよね・・・、音楽が盛んな国々では、むしろ、そういった音楽家の方が
多いのかもしれませんね・・・で、技巧的なテクニックもしっかりしている・・・。
そのチェロ協奏曲・・・、弦のアルペジオの部分を聴いてみたいですね・・・
●これいいですね
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①「アメリカ人ジャイ・シュヴァルツ」のインタビュー記事ですか、
「直後のインダビューの「自分は詩的な事実よりも物理的な事実を信じる」いかにもプロらしいコメントで信頼できる。」
ーーーーーーーーーー
ついこの前に、私、どこかのブログで、同じような記述をしたかと思いますが、
音楽も音響も、音です・・・「音」は、物理です・・・物理は、数学です。ですが、
そこに気づこうとしないのか、気づいているが、軽視されているのか・・・残念。
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②日本の音楽畑ではない音楽評論家にもこういうことは学んで欲しい。
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無理でしょう・・・もし、出来ていれば、私のような埋もれた「音響設計家」・・・
そうそう、最近チェロ奏者に目覚めた・・・無茶なお人「?」 エヘヘ!
の存在はないでしょう・・・
日本にも、その土壌(どじょう)があれば、とっくにメジャーになってますよ・・・私。
埋もれているのが、いいのよ、悔しいけどね・・・
この論理、「一種の矛盾撞着」・・・でも、この場合はOKなのよ・・・
この難しい解釈分かるかな・・・
つまり、「反対解釈」をすれば、基に帰着するのですよ・・・解りますぅ・・・
ではまた。
2009年01月26日 07時22分40秒
放送局は知名度が低いからこそ取り上げるのですよ。シベリウスのように知名度の高いのは同時時刻にケルン・フィルハーモニーでやってたけど、行かないね。
素人は音楽を聴くと感情的になってしまって冷静に考えられないのよ。日本の音楽評論家なんかその典型だよ。だから「爆演」とか幼稚な言葉が流行るわけ。音友とか全音とかそういう素人を評論家として喜んで雇うわけだな。だから日本の音楽界がおかしくなる。
2009年01月26日 07時27分24秒
この時点で、音楽が盛んであるか、そうでないか、分かれ道のような事象が
出ていますね・・・
以前にも、どこかのブログで記述しましたが、そういった素人な評論家の影で
若き才能ある演奏家の人たちが泣いている、と言う現実を認識してほしい。
音楽も、音響も、同じ事が言えます・・・芸術の感性に生きる人たちにとって
評論家は、必ずしも、よい存在とは言えない、むしろ、じゃまな存在である事
の方が多いのかもしれませんね・・・特に、日本ではね・・・
ではまた。
2009年01月26日 23時08分12秒
ドイツに音楽がなかったら誰もこんな国来ないでしょう。俺もさっさと帰ろうかな?
批評は音大の音楽学学科で学ぶものですよ。理学部や工学部を出てからやるものではないですよ。
2009年01月26日 23時45分14秒
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このヨーロッパのアンサンブル・シリーズも16回目を迎える。余りダルムシュタットやドナウエッシンゲンなどに呼ばれない、現代音楽専門のアンサンブルが登場するので、聴く方は以外と面白い。知名度がかなり低いのが多く、技術的にちょっとメジャーに及ばないのかと言うと、そう言うことは絶対ありえないのがこのシリーズの特徴であり企画である。こういうのが毎月一回楽しめるのが最近ケルンの名物の一つになってきた。
今回はエストニアのタリンから呼んでいる。どうも中央ヨーロッパと同じく政府が手厚く支援しているので、委嘱・初演活動が凄いようだ。旧共産圏共通の現象のようである。唯一メジャーになれないのは、お金だけに目がくらんで周辺諸国をガスとかでの苛め専門のロシア本国だけか?演奏家のみならず作曲家の国外流出も全く止まらない事態となっている。
一曲目は隣の国のフィンランドからでマグヌス・リントベルクの「コヨーテ・ブルース」。あの国出身では一番メジャーだが、音そのものには意味が少ないので、いつも退屈していたが、これだけ生を聞かせられると若干の親しみも出てくるというもの。やはりちょっとした無策の音楽でもいかに再演が大切かが良くわかる。この演奏で陣ランドの作曲家がいかにシベリウスに近いかが直接実感する。
次のエストニアのヘレナ・テュルヴェの「トラヴァースに」はかなり力んだ作品。テュールの弟子のようだ。
三曲目のエサ・ペッカ・サロネンの昔聞いたサクソホーン協奏曲は非常に退屈な代物だったが、今回の「マニア」は事実上のチェロ協奏曲。指揮だけではなくて作曲探求も忘れないのが作曲者の態度だが、弦のアルペジオはそれほど多くはなくとも安易では無かろうか?これも結局シベリウスの仲間だった。
休息の後はケルン在住のロサンジェルス出身のアメリカ人ジャイ・シュヴァルツの
「弦楽器の為の音楽II」はこの日の収穫であろう。最初のストップ・ウオッチで時間を決めて始まる長い音は、ジェームス・テニーの「クリティカル・バンド」みたいでこれはダメかなあと思ったけれども、後半に至ってどんどん個性を発揮。直後のインダビューの「自分は詩的な事実よりも物理的な事実を信じる」いかにもプロらしいコメントで信頼できる。日本の音楽畑ではない音楽評論家にもこういうことは学んで欲しい。
次のメールト・マティス・リルの「私の悲しみの声は秋の風」は芭蕉の俳句と基本としているので自分では絶対手を出さない素材だ。彼自身は大学で日本学と中国学も学んでいるのでこういう事には詳しいらしい。どおりでそれを上手くアレンジした習作が出来上がった。これほど成功度は今の日本人にも日本通のフランス人作曲家にも聴いた事は無い。
最後はこの演奏会の親方格でエルキ・スヴェン・テュールの「オキシモロン」。経歴にロック・バンドの設立にも加わったと書いてあるが、この作曲家で今まで知っているのは、簡潔でアクのない透明単純な非ロシア的書法。決してロックのようなカオスの塊ではなかったが、コペレントやアペルギスのようにこの夜はその類で満ち溢れていたので残念だった。
菅野茂
作曲家 指揮者 現代音楽 ピアノ 交響曲