Shigeru Kan-noさん
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先日、Muse川崎で弾いた小川典子さんは、武満徹に「貴方のピアノの響きは私の作品にとても合っている」と云われたそうです。
彼女の弾いたPソナタ「お遍路風」は、南部鈴を片手で振るシーンが結構ありました。「主題と副題のない、5つの主題がポリフォニックに書かれていて、全てが対等に流れている。ピアニストにとっては難曲極まりない曲です・・・』とか。南部鈴は、さしずめ「難曲を弾きとおすために、無心の境地に入るための儀式であったか?」
武満徹の全集を出しながら、リサイタルではこれを避ける。「アウトロー」な演奏家です。
2009年03月02日 13時43分01秒
武満の音楽は日本や特に東京に住んだことがある人なら何でああいう響きになるのかが良くわかりますね。僕はあれらをオーケストレーションすると結局は彼の管弦楽曲のような音になるのと今回完全に確認しました。
彼のピアノ曲は非ピアニスティックなのでとても弾きづらいですが、演奏は一応可能です。誰が弾いても不可能なのがクセナキスのピアノ曲ですね。どんなに方輪の手を持っているピアニストでも2オクターヴ届く人はいませんね。結局全部の鍵盤はつかめないのでみんな音を抜いて弾いています。彼も今回弾きましたが、挑戦するだけ凄いです。超人の音楽ですね。会場も以外に満杯でした。
音大のピアノ科の試験はベートーヴェンのハンマークラヴィーア・ソナタのフーガとクセナキスだけ弾かせればすぐ結果が出ちゃいますね。
2009年03月02日 17時37分40秒
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福間洸太郎ピアノ・リサイタル、2月27日ケルン・日本文化センターと、
カプート・アンサンブル・アイスランド、WDR,2月28日
自分は武満徹を弾かない。なぜかというとドイツの音大のピアノ科は、入学試験や卒業試験に必ず一曲以上の無調以降の現代音楽が義務付けられていて、日本人のピアノの学生がみな決まりきったように武満を弾くからである。ここではドビッシーやラヴェル、ストラヴィンスキー、バルトークなどは現代音楽とは言わないで近代音楽と言う。
福間洸太郎というピアニストは高校卒と同時に海外に留学した最近多くなるパターンのピアニストだ。パリを経て現在ベルリンにいる。現代音楽ピアニストでは大井浩明や永野 英樹・野田憲太郎らの次の世代に入る。最近ナクソスからの武満ピアノ全集のCDを出したことで知られている。全曲は六十数分でCD一枚にすっぽり入る。今回は予定ではその全部を弾くと思ったら、意を返して他の曲目もかなり入っていた。後で個人的に話すとクラシックもコンクールのせいで現代音楽と半々でやるとのこと。クラシック弾きにクセキスを入れる人は見たことはない。でも総じて武満の専門弾きというところだろう。今回は自分が高校時代昔先生につけないで独習したあの懐かしいNHKの「ピアノのお稽古」で委嘱され使われた「子供のために二つの小品」も入っていた。生で聞くのははじめてである。
一曲目の2つのレントからアダージョはもうすでに武満和声が現れている。「音楽以前」の曲というよりも「音楽以後」の典型的な作品だろう。「音楽以前」はその後でそうされたケージの8つの俳句のほうが趣に合っている。途中、湯浅譲二の「コスモス・ハプティック」もあったが武満から間を空けないで続けて演奏したのでどこから始まったかわからないぐらい似通っていた。曲を覚えていないと意外とわからないものである。このつまみ食いのようなプログラムは自分も新宿で昔ラッへンマンとシュットックハウゼンの曲の間に自作を入れてやったことがある、疲れないプログラムではあるが、集中力に相当欠けるので印象はかなり弱くなる。
前半の最後のほうにはクセナキスの事実上の右手に14度を含む「演奏不可能作品」「エヴリアリ」が入っていた。この曲を生で聴くのは過去にダルムシュタットでベルンハルト・ヴァンバッハが弾いて以降久しぶりだ。この曲の演奏はやはり若い人に限る。ベテランになると疲れないように音量などを抑えるのでつまらなく聴こえる。次はクセナキスピアノ曲全曲と武満全曲に期待すべきか?
次の日は放送局で今経済危機で特に有名なアイスランドのカプート・アンサンブルを聴く。Caputとはラテン語でHead/Kopfの意味だが、音を聴くとやはりKaputt(壊れたように)に聴こえる。しかしこれは演奏技術の問題ではなくアイスランドの作曲家がそう音楽を作ったためだとわかるのは最後の曲に於いてであった。
よりによって知られていないアイスランドの作曲家の名前がたくさん並ぶ。アトリ・インゴルフソンが一番有名、その後にベン・セレンセンとかスノリ・シグフス・ビルギソン、ハウクル、トマッソンとか並ぶ。その様式に北欧風ではあるが、余りにも西側にあるのでカナダ風の寂しさも満遍なく聞こえる。リントベルィかサリアホとマリー・R・シェーファーを足して二で割ったような音楽だ!
最後は新作の委嘱でドイツ人のギュンター・シュタインケが選ばれたが、この名前だけは聞いただけでもううんざりしている。それでも曲自体は意外と上手く作られていて、エントリピー形式で始まりだんだん複雑になり盛り上げて最後にクライマックスを築くところは、師のクラウス・フーバーがいう「エントリピー形式の自然性」は良好だが「現代音楽にクライマックスはない」に矛盾している。特殊奏法も異なった楽器でも似た音色を集めて曲を豊かにすることに成功していた。
作曲家 指揮者 現代音楽 ピアノ 交響曲