Shigeru Kan-noさんのブログ(日記)〜クラシック音楽の総合コミュニティサイト Muse〜

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リヒャルト・シュトラウスの「カプリチォ」、ケルン、6月26日

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この生の公演は2回目である。一回目は1989年にゲルゼンキルヒェンで聴いてBクラスのハウスにもかかわらずその水準の高さに度肝を抜かしたものだった。それから丁度20年経っていて、近くではなかなか上演に接するチャンスはなかったが、それでもたまにかかる一応「残っている」作品である。

この曲が辛いのはビルトがひとつしかなくそれで2時間以上聴衆と付き合うことである。今回の上演はそれを中幕でひたすら区切って工夫したあとがあった。この筋は「みんなでオペラを作ろう」テーマのモーツァルトの「劇場支配人」や同じリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」のような芸術哲学問答のやり取りである。見ものは、上演30分前の解説で言ったように8つもの異なる筋を8人の歌手が相手に関係なく同時に物語る場面であろう。ここでショスタコーヴィッチの第二交響曲のウルトラ対位法を思い起こすが、このオペラの作曲年代は1941年、第二交響曲は1927年。1941年というとショスタコーヴィッチが第七交響曲を書いていて、この作曲家が以下に斬新で、R・シュトラウスが古風であったかがこれで明確にわかる。

指揮のステンツは有名な出だしの前奏曲が速すぎて音楽の理解が充足してゆかない。弦がめくれそうな音がして余り良い楽器を使っていないような気がする。ここはトップ奏者でなくとも良い楽器を所有している走者に弾かせるべきであろう。クリスティアン・ヴォン・ゲッツの演出は一応台本どおりだが前半は背広、後半は「薔薇の騎士」張りの歴史的衣装の着せ替え人形の大会。昨日は前三幕休みがなかったが今日は一幕にもかかわらずたぶん着せ替えのためであろう途中53分10秒のところに休憩を入れる。昨日ダリラを歌ったフォン・デン・シュタイネンは今日はクラリオン役で出ている。昨日は声の貧弱さに絶望したが、今日はドイツ語の発音が明確に出ていて意味が聞き取りやすい。そのほかの歌手陣もドイツ語上演になるととたんに威力を発揮して最後まで味わいを彷彿させてくれる。この違いはどこから来るのか?いわゆるドイツ系歌手はらてのぺらには向かないということなのであろう。

残りの東洋人たちはほとんど韓国系だか全員ディーナーとして8人の脇役の埋没させられている、原住民を除いてどれも例外なく主役急に声が良い。

このプロダクションはエジンバラ音楽祭との共同制作であるので同じ演出家が同じ舞台を上演している。ケルンのプレミエは丁度一ヶ月前だが、今回の上演で完全に消され来シーズンはもうかからない。この地味なオペラは音楽を知っていないと全く面白くない。その音楽といっても初期の交響詩に比べれば雲泥の差どころか、「サロメ」や「影のない女」と比べても格段の見劣りがするが、それでも昔から名曲解説全集なのでは取り扱ってきた。一応最後のオペラとあるが最晩年の戦後にはこの作曲者による珍しきオペレッタ「ロバの影」が作られている。どんなものかは知らないが台詞を自由に工夫すると上演する価値はあるのではないかと思うけれども、その例を全く聞かない。

 作曲家 指揮者 現代音楽 ピアノ 交響曲


日付:2009年06月27日

8件のコメント

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このブログ(日記)へのコメント

Shigeru Kan-no

浅草オペラなんか復活させると良いですね。日本って何でかんでも潰しちゃうのですね。だから伝統がちっとも続かない。

日本のオペラハウスは新国といえども死んでいますね。あれじゃちっともレパートリー上演にならない。金もないのも原因でしょうが、オペラは金がたくさんかかるからこそオペラというのです。金がなかったら不祥事の公務員たちに全額払わせれば良いですね。今まで吸った甘い汁は一人に付億単位で返してもらっても不十分でしょう。逆に金のかからないものはオペラとは言いませんね。従がって生のみでDVDのオペラはオペラとは全く言いません。

2009年06月28日 18時38分42秒

Shigeru Kan-no

オペラは結局手弁当じゃ無理ですよ。誰も文化庁などを説得できる才能のある人材が日本には一人もいないのですね。日本の音大もそういう教育は全くしていません。レッスンだけです。ドイツに来てびっくりしたことはレッスンの最中にそういうことを説得できる人材をまず第一に育成することなのにはびっくりしました。ピアノでも作曲でも実力を付けたければコンクールでも行けば良いんであって、音大ではそれではできないことを嫌というほど教え込まれました。まずきちんと音楽のことを喋れる音楽家、そのための知識、それだけで点数をつけていたのには驚きます。作品は提出しただけで全然見なかったですねえ。

2009年06月28日 19時46分06秒

Shigeru Kan-no

例えば国際交流基金の図書館の司書って全然仕事してないですね。公務員はどこでも公務員です。

知り合いに委託するのではないですか?後は知り合いの知り合いとか?じゃないと不可能の筈ですね。

でもそういうのはどこにでもあります。しかしドイツが良いのは一極集中主義ではなくて市町村と権力が完全に分散していることですね。ドナウエッシンゲンとダルムシュタット、ZDFとARD・DLFは働きは似ていますが予算的政治的にも完全に分離しています。

誰でも評価する能力は持っていません。しかし権力を完全に分散すればその問題は消えますね。今時国が文化扇動している時代じゃないのですよ。教育も文化も警察みたいに予算を全部あげて地方自治体にすべて任せれば良いじゃないですか?

2009年06月29日 05時00分29秒

Az猫ロメ

『オペラは金がたくさんかかるからこそオペラというのです。・・・逆に金のかからないものはオペラとは言いませんね。従がって生のみでDVDのオペラはオペラとは全く言いません。』

 「ウーム!」Kan-noさんって、相変わらず極端ですねー。多少、アルコールが入っていませんか。普段はラジカセでオペラを「環境ミュージック」風に聞き流しているのではなかったのですか?
私もオペラは音楽として楽しんでいる一人です。

 金を惜しまずつぎ込むオペラは17,8世紀のハプスブルグ家の「黄金の林檎」(?)のような国威顕示のための手段ではなかったのですか。「芸術性」などは微塵もない。ただの王権賛美ショーに過ぎません。現代でそれをやれば、カーネギーの成金趣味と言われるのが「オチ」でしょう。

 現代は民主主義の時代です。「万民は平等。」それは宗教・政治においてばかりではなく、「音楽」を楽しむ芸術の世界においても然りではないのですか。
 『カラヤン帝国興亡史』に曰く、
 「この二十世紀で最も巨大な個人帝国を築いた男が目指したものは、クラシック音楽の民主化であったと自分では言う。民主化のために権力を欲した男−−−二十世紀のアイロニーの典型例をカラヤンに見ることになる」と。

 されど、このカラヤンの作ってくれた夥しいLPやCDのおかげで、極東の地でもささやかながらもクラシック音楽の楽しみを味わうことができました。私はその功績を認めるのにやぶさかではありません。「(クラシック)音楽に国境はない!」そのおかげで、Kan-noさんはドイツで生きておられるのではないのですか?

2009年06月29日 13時31分54秒

Shigeru Kan-no

「国威顕示のための手段」でもそこには国家の金がかかっていますね。余り装置や歌手がたいしたことのないオペラらはつまらないじゃないですか。良くする方法は一つ、決まっていますね。

ここではDVDやLDはオペラとはみません。あくまでも生としてのオペラですね。そりゃDVDやLDは単なるコピーですから安いですよ。でもああいう上演があるわけではないですね。私たちは客席に座ったら幕の終わりまで真っ暗にされてせきを禁止されて強制的に聴かされるじゃないのですか。ある意味で苦行ですね。それに大量のお金を払うわけです。それでもWagnerやR・Straussで満杯になってもどこでも赤字しか出ないわけですよ。

2009年06月29日 16時37分04秒

Shigeru Kan-no

生は苦しいから半ば強制的に聴かされるのですね。なかなか忘れませんよ。

僕は間違っていてもそのまま出しちゃいます。ミスは生の醍醐味ですよ。それがとても嫌だから一生懸命練習するのですね。

2009年06月29日 22時29分54秒

Az猫ロメ

「この地味なオペラは音楽を知っていないと全く面白くない。その音楽といっても初期の交響詩に比べれば雲泥の差どころか、「サロメ」や「影のない女」と比べても格段の見劣りがするが、それでも昔から名曲解説全集なのでは取り扱ってきた」

 「ですか?」大分前に送られてきたニ期会の公演案内に『カプリチォ』が入っていたような気がする。二期会の友人の話では「影のない女」も、殆ど、何時再演の機会があるかどうか分らない作品だから見ておいたほうが良いと言われたものです。
 Kan-noさんの意見を添えて、聞いてみようかな?

2009年06月30日 11時06分46秒

Shigeru Kan-no

「影のない女」は3幕あって長いですが場面転換があるのでそれほど飽きないです。オケも大きくて豪華で派手ですしね。日本もなかなかやれないんでしょうね。金は豊富にかかりますからねえ。ここでは金はかかっても人口50万以上だとAクラスのオペラ・ハウスがありますから一気にやっちまいますね。

金をケチっていては絶対良いオペラはできませんね。どっち道日本人歌手なんか安ギャラなんだからできないことはないのですが、とにかく日本は金をケチりすぎですね。歌舞伎のような感覚でやっているのでしょう。人数が桁違いに違いますね。オケだけでも軽く100名越しますからね。オペラ制作費の大半が人件費、やれば失業対策になる。この感覚が日本には全くないのでしょうね。

2009年06月30日 15時45分08秒

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