Shigeru Kan-noさん
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シルヴァン・カンブルランが辞めるホーネック後のシュトットガルト・オペラの次期音楽監督。
2010年04月14日 19時08分05秒
どうもシュトットガルト・オペラは現代オペラ振れない指揮者は全く使わないみたいだ。
2010年04月14日 21時45分11秒
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当初はゲルト・アルブレヒトの予定ではあったが、病気なのか今の人気指揮者のファビオ・ルイジに変更。ドレスデンを辞めるので幾分暇になったらしい。当然曲目の変更されてドヴォルザークからシューマンの第一交響曲に変わる。前夜3SatのTVで「ウィーンの春」を振っていた人が今ここでは生で振っている。
ファビオは無名に時代からオペラで知っていたが、はじめてみたのはウィーンでそのクールな指揮と決して下手ではない棒はウィーンの聴衆からは一目置かれていた。次に見たのもオペラだかベルリン国立歌劇場だった。特に問題は無い指揮者のようだった。
問題になってからはドレスデン時代からであろう。コンサートが多いので嫌でもドイツ物が多くなってしまうのだ。アバドやジュリーにの様に曲が薄くなってしまうのはこの頃からであった。当然今度のピンチヒッターもこの性格を残していて、さすがにイタリア人らしくテンペラメントは十分なのであるが、第二主題も同じようににやるので音楽がコントラストに欠け落ち着かなく平坦になってしまう。第三楽章でもさらにツェーズアもしないのでいったいこの人は曲をよく読みこんでいるのか非常に疑問になる。そして両端楽章の最後の和音のフェルマーターが短いことは、逆にやたらと長いマゼールと対角線上にある。非常に正確できれいなビオラのパッセージだけが印象に残った試演会であった。これがクールな解釈といわれる所以であろう。
夜は急遽音大で「ピエロ・リュネール」をやるというのでいってみた。最初はデュッセルドルフ音大の学生による客演演奏で今回はギタークラスに歌が加わったもの。ドイツではどこでのこの種の交換演奏が多い。オペラでさえもやってしまうがみな大体たような水準である。このことが今日での常に高水準を維持する原動力となるのであろう。日本では国立音大に武蔵野音大の学生が、芸大に東京音大の学生が客演で来たのは、決して見たことが無いきわめて閉鎖された鎖国音楽大学である。あんなに才能と経済的なレヴェルの差があってははじめから競争にならないのでみんなしないのである。
第二部はクルタークの「ロベルト・シューマンの思い出」作品15dでいつもの短い断片的な音楽が反って音楽学生のやる気を引き出している。
最後の第3部はそのシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」作品21。現代歌唱のクラスの演奏で今回の指揮者無しのを始めてみた。凄く有名な曲ではあるが実演となるとめったに無い。自分が始めてみたのは第一回ウィーンモデルンでフリードリッヒ・ツェルハが自分の「アンサンブル・デア・ライエ」を指揮したものだけである。その後ブーレーズやツェンダー、エトヴェシュ、ギーレンらのCDが続々と出てきてこの曲は指揮がないと演奏できないものかと思っていた。最近のドイツの音大の水準は凄まじく、ファニホーまでやってしまうのだから、シェーンベルクもがんばれば指揮なしでも上演できて不思議ではないのかも知れない。とにかく音は全部完璧に合っていて、今回これは指揮者無しのほうが断然成功しやすい音楽であることがわかった次第であった。
作曲家 指揮者 ピアノ 現代音楽 交響曲