Shigeru Kan-noさん
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ケルン、5月16日
ケルン・トリエンナーレ最終日の全6回のディレクションのうちの第5回めの公演であるこのオペラは英国のグリューデボーンとBBCとの共同制作で、最初のケルンで初演が行われその後で夏にイギリスにもって行くため、彼らの外国語音痴を考慮してハンガリー出身であるエトヴェシュが、ハンガリー語だけではなくドイツ語でさえも捨てて、ミュージカル風に英語に作曲したものであるが、やはりフランス語ほどではないにしても子音が聴こえ難くなるので字幕の照射が欠かせないが、この天井の字幕がやたらと暗いのはどうしたことであろう?
彼はシュトックハウゼンの弟子の中でのポスト・シュトックハウゼンとしては第一人者であるが、今ではその極端に忙しい指揮活動にさえぎられて自分の思うとおりに作曲がかどったとはいえなく、数々の音大の指揮科の先生を引退して今回初めて作曲活動と本格化した重要な結果とみなすことができる。
ここからは初めてベルカント・オペラに戻ったとFMラジオの解説で作曲者自ら語っていたが、そもそもあの既に10回の新演出がなされている成功作「3人の姉妹」そのものがベルカントと思っても良いのではなかろうか?少なからずもヘルツキーの特種歌唱法のオペラとは対極点に立つことは確かである。しかしそうは言っても管弦楽の伴奏の方はもちろんイタリア・オペラにあるようなベルカントの支えの伴奏ではなく特殊奏法の集合体であることは事の周知である。
まず楽器編成であるが2222・4221・2P/Cel.Hpで弦は664464でヴィオラが2部に分かれ、更にメシアン風にソロのサキソホーンとバスクラリネットが指揮者の前に置かれて舞台裏の打楽器もマイクで引っ張ってているが、彼の好みに乗じてそれをソロを真ん中にして左右に均等対象分割して配置される。なお打楽器群はいつもの蓑虫チンドン屋風でこれも既にアカデミックになってしまったが、これを彼のセッティングの好みと書いたのは、自分が昔彼に始めてミュンヘンに指揮を習いに行った時にその指揮そのもののレッスンの初めに、そのアンサンブルのセッティングを紙に書かされたことによる。それは結局どこから来たかというと空間音楽の概念からシュトックハウゼンといわれているが、実は彼はハンガリー音楽の伝統をしっかり守っているので原点はバルトークらしい。通りでバルトーク風の音響がヴァイオリン群やティンパニー群にしょっちゅう顔を出している。しかし昔の作曲家そのものではなくて、もちろん今の作曲家の好みに十分に消化している。それが今回の入場率は60%ぐらいでも退出者1名という成功に繋がったのであろう。
第一幕は60分で休憩の後に第二幕が45分と続くが、途中で逃げられるように休憩を置いたのはどうもこのオペラが作曲者の自身作であるらしく、後半もほとんど席替えはあっても退出者はいなかった模様だ。
このオペラの歌手陣で面白いのはあの往年のヘルデン・テノールのルネ・コロが初演にもかかわらずドン・ユグナツィオ役で出演したことである。もう70歳を超えていると思えるが、引退したディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウやペーター・シュライヤー、ペーター・ホフマンらと違ってまた引退宣言はしていない。そのとおり声は今でも張りがあり充分に大きく出てくる。さすがに老人の年の功は隠せないが、それでも破綻は来たさない。最も良い声を狙っていつものようにアインザッツやリズムがめちゃくちゃになるので、それが反って声自体の健康の維持にも良いらしい。
リブレットはコーネル・ハムヴァィ、演出はシルヴィゥ・パーカレーテで修道院内のセックス事件に対する宗教裁判のような物語であるが、今のカトリック教会の時世に合っているので話題性という点でも注目される。ここでは聖職者は豚のような場め者の仮面をつけて演技される。
このオペラのレヴェルであるが、ここで聴いたケルン音大やデュッセルドルフ音大の教授陣への委嘱作品よりも遥かに水準が高い。あのオペラたちは結局無駄であったが、ハウスの誰も責任は取らないのであろうか?
作曲家 指揮者 ピアノ 現代音楽 交響曲