Shigeru Kan-noさん
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2011年3月26日
これは言うまでも無く4年前に同じ演目をケルンで見ている。今回は隣の町のデュッセルドルフでのプレミエで、前回の「ピーター・グライムス」と同じくブリテンのオペラ・シリーズ第二弾は別のラモーのオペラ・シリーズ第二弾と似ている。ブリテン生誕100年は2013年の筈だが何をこんなに先走って上演するのかはどうもラモーと同じくドラマトゥロギーの決定らしい。
今回も同じように上演30分前の解説を聞く。素材が前作の「ピーター・グライムス」に非常に似ていること。海の軍艦が舞台で主人公の男は罪を犯し最後に殺される。幕も2幕であるにもかかわらず、予定表の午後10時終了に反して、2時間40分かかり10時45分に終わったこと、規模的にも余り「ピーター・グライムス」と変わりが無いこと。場面転換の各間奏曲があの7つの海の間奏曲(「ピーター・グライムス」は実際6曲しかないが)に負けないくらい独特で美しい。「ビリー・バッド」は譜面なしで聴いたので実際に何曲あったはもう忘れた。しかしブリテンの天才的な音楽語法は健在で、いったん知ってしまったらどうしてこの魅力を忘れ去ることができない。その多くはイギリスのSFなどの映画音楽を思い起こさせる。実際はその反対で映画音楽がブリテンの音楽を模倣したのであるが、そのほかにも解散でもはや死んでしまったビートルズの音楽と違って、彼のオペラはどんどん息を吹き返して生命力を授かるのはR・シュトラウスなどののオペラを並んで驚異的である。事実私自身も生前は延滞の知れない駄作オペラと思っていたのが正直な思い出である。しかしスコアは日本の図書館に良くおいてあったので題名だけは知っていたが、実演が日本では不可能に近いので、夢のまた夢に過ぎなかった。
いつもの通りの後期印象主義的な創作。死の場面でも平気で長三和音が出てくるので不思議な感じがする。もちろん短三和音はここでは普段よりももっと暗く聴こえる。ブリテンの作品1から連なる音楽語法は健在で海への憧れを最大限に発揮させる。3和音の交換ももちろん伝統的な連結を無視するので、これに慣れるまではかなりの努力を要する。行進曲などのエルガーの「威風堂々」を思わせるイギリスの独特なリズム。今回も第一幕だけで帰って行く人がいたのだが、やはりいつもの様に英語のミュージカルと勘違いしたのであろう。台本が深刻であり、音楽も凄くまじめに作ってある代物である。その伴奏は絶えず歌を支えているがその方法は巧みな限りである。単純で安易な繰り返しをせず、聴衆が突いてこれるだけの許される限りの変奏を常に付け加えてやってくる。こういうことが仮に譜面には無くとも専門に作曲をやっているとその場の聴音から読み取れる。音を聴いて常にスコアの内容を自然に想定してアナリーゼしまうのはいつもながらの自分の職業病になってしまった。
ということで今回の編成を見ておこう。演出は前回の「ピーター・グライムス」と同じインモ・カラマン。舞台は軍艦の格好をしていない中道具だけ。指揮のペーター・ヒルシュはそこら中で現代音楽ばかり振る専門の指揮者の初登場。棒は下手だが鳴るべきところは全部余さずきちんとなるので、前回ここで聴いたプッチーニの3部作の指揮者とは音の鳴り方が全く違う。歌手陣は最初から声が小さくて調子が外れるということは無くてちゃんとまともに直っている。ちゃんと発声で準備はしている。
ケルンと違うところは舞台が狭いので良くも悪くも意外とこじんまりした舞台。客の入りはプレッセ・カルテをばら撒いているので85%は確保していた。オケはブリテンの編成では一番大きいといわれていて、4343、4431、Timp.打楽器、10,8,6.5.4。トランペットは高温が多いらしく大半の奏者がピッコロトランペットを持ち替えるように準備していた。第一幕80分、第二幕80分。最後の看護婦以外は全員男だけのホモと暴力・規律の入り混じった世界。
ブリテンの「ビリー・バッド」:オペラ・ケルン、5月25日投稿日2007年 6月12日(火)
本当はワーグナーの「妖精」のチケットを買いに行ったのだけどさすがにヤクルトホールでの公演は100席ぐらいしかないので今シーズンは全て売り切れ。来シーズンに希望を残して負け惜しみに今日は何か見ていこうと、まだ一回も見たことのない「ビリー・バッド」を聴いていく事にした。
例によって公演30分前に解説があり、このオペラは典型的にピーター・ピアーズの為に書かれたので、ホモ臭いオペラとの予告があり、幕が開くとどうりで出演者は全員男性の作品。プッチーニの「修道女アンジェリカ」と対角のオペラ台本である。さすがに全曲とも「トリスタンとイゾルデ」のよりもずーっと船の上だけで演じられるので、リヒャルト・シュトラウスの「口のない女」や「カプリチォ」ように舞台の基本が大きく変化しないので、全体として聴くオペラとして終止している。要するに音楽に格段の内容がないと務まらない仕組みだが、案の定コンチェルタンテでも充分聴き応えがあるほどの内容がしまっていた。全二幕で大き目の三管編成:ピッコロ・フルートとトランペット、サクソホーン、2人のティンパニー(一時的に3人で6人の打楽器奏者)、はデッサンだけではなくてパレットも充分!各幕80分の演奏時間はマーラーの交響曲二曲分の手ごたえで、ながーい2時間40分は覚悟していたので苦痛は少なかった。
いつも聴いた事なの無いオペラはとても苦しい物だが、予め演奏時間を言ってもらえると緩和されるのはオペラでは良くある事。ブリテンの音楽は印象派の生き残り的な調性のある残物だが、当時考えられる限りの特殊奏法もふんだんにあり、この質の高さがオペラが決して消えない理由であろう。何しろ調性があるので長三和音や短三和音もふんだんに出てくるが、ドビッシーのように飽きないのは、その間の和音たちが多くは全音でぶつけられているので、独特なイギリスの自然な海岸を思わせる音楽のしくみとなっている。
自分も昔ミュンヘンで聴いた「ピーター・グライムス」は海がテーマになっていたと同じように、この作家はこれが良く出てくる。あの「4つの海の間奏曲」を思わす間奏曲が10個近く出てくるので、これらを組み合わせるとコンサート用のレパートリーにも良い。
この前聴いた「真夏の夜の夢」はあのウエーバーの「オベロン」と同じ筋なので『海』は出てこないが音楽の語法は同じなので、理解が困難なわけでもない。この作曲家は指揮などで勉強した「シンプル・シンフォニー」や「フランク・ブリッジによる変奏曲」でも御馴染みのように、様式が初期の作品から一貫していてその構成の見事さでは申し分がない。ただ一つ言いたい事をここで書くとすれば、あのショスタコーヴィッチの作品番号ようになぜ100を超える作品が書けなかったのかが残念である。
それで持ってもこの作家が1908年生まれのちょっと先輩のメシアンのように注目されないのは、もっとはっきりした革新性のなさではあるまいか?ジョン・ケージのすぐ後にも生まれている。作曲界においていかに新しい事に探求する事が重要であるかは、これらのブリテンの作品を聞きつづけると自然に教えられる感じがする。
演出は簡潔だが台本どおり、指揮者はトロイ感じだがオケはそれを無視して自ら楽しもうとする態度でいつも助かる。タイトルロールは若いけど申し分の無いバリトン!最後にこの主人公は秩序の為に絞首刑に処せられる。
菅野茂
作曲家 指揮者 ピアノ 現代音楽 交響曲