Shigeru Kan-noさん
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たちの悪いウイルス性の腹風邪が治らないので、また前回の様に強行すれば治るであろうと街に出て見たが、天気は前回と全く同じの暴風雨が残っている。
午前中にボンのシューマンハウスで調べ物。さすがにシェーンベルクの歌曲集の全集版も完備していた。その「架空庭園の書」作品15のVIIは伴奏が右手のみの伴奏らしいスコアであるが、これは後の作品22や「モーゼとアロン」の初版の出版譜に見るように発展してゆくものである。残念ながら刊行されている新全集版は指揮者たちが気持ち悪いというので、本来の振るスコアの形に直しているが、あくまでも作曲者の望んだ形はあくまでもコンデンススコアでの形である。
今回の目的はシェーンベルクが調性から無調へ乗り越えた境界はどこからかがテーマである。作品10のSQで挑戦を突破した後どこに行ったかを見つけるのである。アナリーゼというと歌曲集よりはやはりどうしても器楽曲に隔たりがちなので、作曲家の研究者でもなじみが薄いので歌作品は大いに参考になる所以である。やはり答えがあった。それは作品14の2つの歌曲である。第一曲が調性があって第二曲が調性が無い。この調性を打ち破る方法で注目されるのがステファン・ゲオルゲの詩である。崩壊途中の作品10と作品14、すぐ後の崩壊後の作品15にも全面に使われている。作品15のXIIIやXIVの伴奏法は既にすぐ後の作品19に見られるよな音響作曲法的な構造的な考え方である。
これで終わってケルンに向かい途中カーラジオでケルン室内管弦楽団の指揮者でマネージャーのヘルムート・ミュラー・ブリューがこの正月に死んだとのニュースを聞く。マネージャーもやっていたというのは、ミュンヘンのグーテンベルクの様にこの金持ちが今までずーっとオケを買って一人で定期公演を長い間管理・運営してきたということがわかる。時々FMを聴いていたが結構な腕前で、いつもモーツァルトしかやらないやらないのは、テクニックが簡単だということと、良い曲の入りだけを考えていたのであろう。自分でフィルハーモニーを定期の分買い込んでいたようだ。出身はケルンとボンの間のブリューという町であそこに城があるのは多分あそこの元貴族であったに違いない。
それで夜の部でフィルハーモニーのケント・ナガノ指揮のベルリンドイツ交響楽団を聴こうとしたがあいにく立ち見まで売れ切れで諦めて近くの音大で何かやっていると思いそちらに移った。しかし凄い人気である。プログラムがいつもの様に素晴らしい。シューベルトの未完成、ベルクのヴァイオリン協奏曲、そしてシェーンベルクの「ペレアスとメリザンデ」だからである。こういう組み合せはなかなか思いつかない。
それで音大に行ってたらやはり何かやっていた。教員養成課程の学生オケである。オケの専攻生ではないのでそれなりにレベルが落ちて小さい編成だがやはり聴ける。要するにシュトットガルト音大の「スタジオ・オーケストラ」というやつである。ここの「シンフォ二エッタ・104」は最初にベートーヴェンの「コリオラン序曲」、アカデミックな作品である。第一ヴァイオリンは6人、コンバスあ3人。次にモーツァルトのコロラトゥーラ・アリアが2曲、Kv.70とKv.528。最後はチャイコの第二交響曲。車で来るときカ−ラジオでSWRの1番を聴いて聴いたので丁度良い。クロークに荷物を取りに行って更にアンコールまでやっていたがもう簡便。帰りの車ではそのいけなかったほうのナガノの生中継系をまだやっていた。補任が何かしゃべってアンコールはシューベルトの「ロザムンデ」間奏曲だった。
家に帰ったらメールで後輩の高橋東吾の死去を知った。風邪はいつもの様にほとんど治っていた!
作曲家 指揮者 ピアノ 現代音楽 交響曲