Shigeru Kan-noさん
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シューマンの最初の曲は「ヘルマンとドロテア」序曲でした。
2012年03月25日 07時12分34秒
2012年04月07日 02時00分24秒
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昼の公開練習は、といっても事実上の一楽章を通すだけだが、ブルックナーの9番の第一楽章。彼女は昔ケルンの歌劇場でコレペティやっていたのでおなじみの指揮者らしい。もう良いおばさんになって横綱みたいに太ってきて眼鏡している。尻の振りそのものがオーストラリア人なのにヤンキー気質そのもので、バーンスタインと違ってブルックナーでも合わない。関節が柔らかすぎるのでやはり女装したようなブルックナーは気持ち悪い。金管に気を使ってクライマックスを速くする手法はやはり魂的に充足しない。トランペットは補助が無かったがアシスタントを付けても金管の強奏の持続時間は大事にすべきである。非常にゆっくりしたテンポは正解だがクラマックスがあんなに短くされると聴く側の印象もどんどん薄れてきてしまう。
関節が柔らかいという意味は詳しく言うとそのために不器用な音の交換の移り目がはっきりしない、そのために曲自体が柔軟性に富みすぎた融通の利きすぎる音楽に化けてしまうのだ。この作曲者がそんなに融通が利いただろうか?ならば独身を通さなかったであろう。
オケはやはり前回聴いたブダペスト祝祭オケよりも優秀。公務員だが払っているギャラの通貨価値が違うとプダペストが幾ら2年契約で厳しくしてもかなわない。アインザッツも何もしなくとも当たり前に出てくる。先週振ったイタリアのオケはいちいちバカみたいにやらないとフルトヴェングラーのRAIのCDのようにわかりきったブラームスといえども良くアインザッツを間違う。
この女性指揮者はアドリアーナ・ヘルツキーとかユンギ・パックパーンとか振ったら曲自体がとても幸せだったかもしれないが、無理やりワーグナー・ブルックナー指揮者に祭り上げられたのは不幸だったと思う。
Gürzenich-Orchester Köln, S. Young:
Kölner Philharmonie
Gürzenich-Orchester Köln
Simone Young Dirigentin
Anton Bruckner
Sinfonie Nr. 9 d-Moll WAB 109 (1887–96)
Auszüge
30 Minuten kostenloser Musikgenuss beim Probenbesuch: Eine halbe Stunde vom Alltag abschalten, die Mittagspause oder den Stadtbummel unterbrechen und sich für kommende Aufgaben inspirieren lassen.
PhilharmonieLunch wird von der KölnMusik gemeinsam mit dem WDR Sinfonieorchester Köln und dem Gürzenich-Orchester Köln ermöglicht. Medienpartner Kölnische Rundschau.
帰りにケルン大聖堂の横を通ったがこんなに壮大な建築が先週のバチカンのそれに比べて大きさの見劣りがするのは初めてだ。
夜の公演はまた外来のオケの演奏会。呼びすぎなためか60%の入り。ブレーメンのカンマーフィルはグスタフ・マーらー・チャンバーオケと兄弟オケ。要するにグスタフ・マーラー・ユーゲントオケ時代に正式なオケに入れなかった人のOBオケ。じゃ下手かというと逆で通常オケよりも上手いのはご覧の通りである。要は全員運だけが悪くて通常オケに入れなかっただけの話。
はじめにプログラムになかったシューマンの「ラ・マルセーユ」を題材とした管弦楽曲を披露。曲名は知らないが、偶成和音の処理やオーケストレーションの扱いを聞いてすぐシューマンとわかる一品。次が交響曲になり損ねた「序曲・スケルツォ・終曲」は緩叙楽章を与えてやりたいほどの珠玉の作品。やはりエストニアの指揮者の解釈はドイツのそれとは異質のやはり北欧の風土。それでもドイツ物はやはりイタリアのオケと違っていちいちキューイングしなくとも自然に出てくる。
次のシベリウスの「2つのユーモレスク」作品87と「4つのユーモレスク」作品89は事実上のヴァイオリン協奏曲の組曲。ソリストのペッカ・クーシストはストラジヴァリ並みの高級品を持ってきて演奏する達人。こういう良い楽器もイタリアのオケやウィーンのオケにもない。アンコールには2曲オケに同じ音とリズムだけのにわかに伴奏させて自分が民謡風の音を即興?していく曲芸を披露。最近はソリストのアイデンティティーも自作や完全即興のカデンツアからどんどん変わって極端化してくる。
最後のシューマンの2番は誰でも知っている。それをここのライン河畔で聴けるは「ラインの黄金」と並ぶ最高の贅沢。しかしあくまでも北欧風の解釈はドイツのそれではない。席を一番前の第二ヴァイオリンから1mの距離聴いたが、昔のベルリンフィルのように後部の奏者がこれでもかとどんどん押してくるヴィルトーゾの塊。
アンコールはまたシベリウスに戻って「悲しきワルツ」。
P. Kuusisto, Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen, P. Järvi: Schumann, Sibelius
Kölner Philharmonie
Klassiker! 4
Pekka Kuusisto Violine
Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen
Paavo Järvi Dirigent
Robert Schumann
Ouvertüre zu Johann Wolfgang von Goethes "Hermann und Dorothea" op.136 (1851)
Robert Schumann
Ouvertüre, Scherzo und Finale op. 52 (1841)
für Orchester
Jean Sibelius
Zwei Humoresken für Violine und Orchester op. 87 (1917)
Jean Sibelius
Vier Humoresken für Violine und Orchester op. 89 (1918)
Pause
Robert Schumann
Sinfonie Nr. 2 C-Dur op. 61 (1845 – 46)
Pause gegen 20:55 | Ende gegen 22:00
作曲家 指揮者 ピアノ 現代音楽 交響曲