Shigeru Kan-noさん
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2013年03月24日 20時53分17秒
クルト・レーデル死去、94歳。
Kurt Redel ist verstorben. http://www.kulturinfo-lippe.de/konzert6.html
2013年04月02日 01時51分05秒
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Saison 2012/2013
WDR Rundfunkchor Köln
WDR Sinfonieorchester Köln
Tod und Verklärung
Andrés Orozco-Estrada
Konzert für junge Erwachsene
???, 22.03.2013
20.00 Uhr
Kölner Philharmonie
Richard Strauss
Tod und Verklärung op. 24
Tondichtung für großes Orchester
Gioacchino Rossini
Stabat mater für Soli,
Chor und Orchester
Mitwirkende:
· Olesya Golovneva, Sopran
· Diana Haller, Alt
· Francesco Demuro, Tenor
· Samuel Youn, Bass
· NDR Chor
· WDR Rundfunkchor Köln
· Robert Blank, Einstudierung
· WDR Sinfonieorchester Köln
· Andrés Orozco-Estrada, Leitung
Konzerteinführung:
19.00 Uhr Einführung
Richard Strauss schrieb die Tondichtung Tod und Verklärung lange vor seinen großen Erfolgen im Operngeschäft; Gioacchino Rossinis Stabat mater datiert aus der Zeit, da der Meister den Beschwernissen des Theaterlebens bereits Addio gesagt hatte. Den Sinn für große Bühnenwirkung verraten gleichwohl beide Werke, die der junge Kolumbianer Andrés Orozco-Estrada, Chefdirigent des Tonkünstlerorchesters Niederösterreich, zu einem sinnigen Programm verbindet.
すごい、当日のプログラムがネットで印刷できる!
http://www.wdr.de/radio/orchester/allekonzerte/det...
まず、19時からの解説があった。音楽学者らしきものが出てきて聴衆に質問していた。「作曲家はいい料理人で無ければならない」といったのはロッシーニ、それともR・シュトラウス?即座に答えが返ってきた。ロッシーニ!残念でした、R・シュトラウス。ここでもうまんまと騙された。やはり司会も説明も上手い。
交響詩「死と変容」は、そんなに各部分の描写の具体的な解説が無いからほとんど絶対音楽として聴いてほしいとの事。音の例として「最後の4つの歌」の和音変換と「変容」の主題の“変容”過程。
次にロッシーニの「スターバート・マーテル」はこの受難週間にふさわしい選曲、といってもドヴォルザークほどでもないが、第一曲の開始は「ウィリアム・テル序曲」の開始と類似していると言っているが、ヴェルディのレクイエムの「オッフェルトリオ」ので出しとも比較して欲しかった。次に第二曲のイ長調の音の例を聴く。典型的なオペラの親しみ易い酔っ払いアリア。ここには「悲しみの聖母」からは一番遠い次元にある。宗教音楽の大家として名が残せなかったのはそういう意味があるのだろう。模範としてパレストリーナの「スターバート・マーテル」。
実際のコンサートではR・シュトラウスの「死と変容」の解釈は昔のチェリビダッケのシュトットガルト放送響の録音をNHK・FMで聴いてしまった後は非常に難しい。音響のせいか書く声部の対位法的なつながりが上手くくっついて流れない。弦は大切だがマゼールのウィーン・フィルみたいに醸造の醗酵はしない。要は第一ヴァイオリンの高声部が硬直して合わないので柔軟性が無い。クライマックスはパウケンとトロンペーテが頂点を作り出すのでそのあたりをもっとかまってあげないとこの曲はちっとも感動しない。同じところのポザウネンの線のつなぎも忘れている。
後半の「スターバート・マーテル」は自分も知らない曲なのでこの会場に来る前にケルンの音楽図書館でスコアをチラッと眺めてきた。昔、音大の合唱の先生のクルツの指揮でロッシーニの合唱曲を歌ったことがあるが何時もそういう行き方である。それでも1時間かかるそんなの有名でない大曲でも年配者の聴衆の入場は90%を確保していた。老後でも常に難しい曲にあたり物を考える行為はアルツハイマーの立派な予防になっているらしい。
指揮者はTVカメラが入っているのに合唱を立たせないで曲を始めてしまって、曲が始まってから合唱が自主的に立ったので雑音が入ってしまった。独唱のバスは前回のオペラと同じやはり韓国人だった。あそこは知らないうちに完全に優れた歌手だけを排出する「歌の国」になってしまった。ソプラノは声は美しいが息が続きにくいらしい。アルトはそんなに聴こえてこないので地味だ。テノールは定型的なイタリアのオペラ歌手の声である。
合唱はNDRと一緒で大きく響くが、ルペルト・フーバーの「モツレク」のように上に上げないでオケのステージに下ろしてしまって分離が悪くラテン語の歌詞はちっとも聴こえてこなかった。最弱音が苦手な木管が入るともう聴こえない。
指揮のオロスコ・エストラーダはHR響の次期常任でTVで見たときは、ウィーン楽派のフィシャー兄弟やシュナイダー、ロペス・コボスのようにちっと鈍い音楽が印象に入っているが、この人のセールスポイントはやはりドゥダメルやC・クライバーのようにラテン・アメリカ風のテンペラメントらしい。興奮魔が聴衆を引き摺ってゆく。
作曲家 指揮者 ピアノ 現代音楽 オペラ∩声楽曲