Shigeru Kan-noさん
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やっと新ヴィデオが出ました!
https://www.youtube.com/watch?v=cL-8hkTGEEk
2016年06月02日 05時11分32秒
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このオペラの1992年のハンブルク初演は当時南ドイツのSWRのFMラジオで生中継した。休みなしで2時間ぐらいの上演時間だったと思う。リームのオペラでは繰り返しのオスティナートが多く、「3つの弦楽器のための音楽」や「弦楽四重奏曲第4番」と並んで比較的聴きやすいオペラの一つに数えられる。ラッヘンマンのアナリーゼのクラスも当時ファニホーらの楽曲と並んでついに分析の対象となった。
今回も40分前に解説があった。全曲はラジオで聴いたことがあるが、具体的に中身がどうなっているのかはやはり解説聞かないとわからない。去年のザルツブルク音楽祭との共同制作で指揮者と歌手と舞台をケルンに持ってきたものらしい。このオペラは初演されてすぐになくなる一般の現代オペラと違って、もうすでに十数回の新演出を重ねているらしく、1520年のスペインのメキシコの植民地政策をネタとした内容だが、もういくつかラジオで言われているようにあまり具体的な筋はない。1896年生まれのアントニー・アルトーの1930年の原作。筋の代わりに「意識の層」が表象されている「肉体的演劇」らしい。国王の役がバスでもカウンターテノールでもなくソプラノに割り当てられ更にバリトンの2人の雑音の話し手と重ねるなど配役もめちゃくちゃ。
コーラスは別に出てこなくて録音のみ。特に経済的な理由ではなくて前作のシュトットガルトで見た「セラフィン」みたいに意図的に録音しその音色の差を試みたのか?たぶん初演時のハンブルク・オペラのコーラスだと思う。貸し譜と一緒に録音も強制的に貸し出すシステム。昔ウィーンで初めて見た「ヤコブ・レンツ」にはそれはなかったから途中で作曲傾向が変わったらしい。ただし33人の男声のべヴェーグンクスコアは出てきて兵士の役やそれも演技だけではなくて実際によく歌う。ノーノ風のアカペラ・デユエットも良く出てきてこの音楽劇が抽象オペラであることがよくわかる。4部からなり今回は途中で聴衆が出ていくこともないので第二部が終わった時点で余裕で休みを入れるらしい。モンテツーマと死。
音楽はピットだけではなくてサイドや後方の客席に3つに分散されている。それぞれ打楽器とトランペット、オーボエが一組になっている。指揮者はケルンで「ヤコブレンツ」を指揮済みらしい。第二場にセックスの場面があるがドイツの音大の指揮科も出ている演出の大指揮者の息子のペーター・コンビチニーは聴衆に必要かと聞かれたらしい。そしたらこのオペラはセックス・シーンが必要か不必要かの次元の問題ではないと答えたらしい。
6時からの実際の舞台はそこらじゅうに壊れた廃車の山はこの前の2月ここで見た別のオペラに似ている。客席ががやがやしてオケがウォーミングアップしていると思ったら、もう打楽器が知らず知らず始まっている。最初は合わせていなくてほとんど任意の即興的で数分後指揮者がどこかで合わせるようになっているらしい。こういうやり方は聴衆が客席に入る90分前から音楽が始まっている、フィリップ・グラスの「浜辺のアインシュタイン」にどっか似ている。
そこでこのオペラのテーマである録音の女性コーラスのマラソン風のオスティナートにラテン風のリズムが乗っかる。最初雑音だけで歌詞がないから字幕は出てこないが徐々に物語風になって字幕が出て来る。しかし全体的に関係するこれといった流れがあるわけではない。ピットの2人の女性歌手も良く舞台に上がり演技をし歌う。部隊の両端にもヴァイオリンが2人常住。シュトックハウゼンと違ってこのオペラを上演しやすくしているものに楽器奏者に暗譜をさせないことである。忙しい楽器奏者はこれをすごく嫌う。ノーノのような楽器構成。べヴェーグンクスコアの登場は結局聴衆の中に隠れていてそこから突然歌いだして出て来る。女に乱暴する演出は去年の大みそかのケルンの中央駅に事件をそのまま模倣したものだ。去年の夏のザルツブルクにはなかったのでここでケルン上演に備えて演出しなおしている「ソドムとゴモラ」60分。
後半も始まり方が最初と同じ、試し叩きから自然に集まってきてあるポイントで指揮者が合わせる形。またオスティナート。妊婦がタブレット・パソコンを産んで聴衆が笑う。次にノート・パソコン、最後の携帯電話はコンビチュニーらしい演出だ。プラウザの映画、1519年、Email,メキシコの地図、いろんなパソコンゲームなどが次々にスクリーンに!ラテン語の合唱のテープ。スペイン国王。戦争。オケピットの楽器の移動が激しい。人形をばらしてセックス。最後はノーノのオペラ様式にある地味な制限された楽器法と二重唱。ハレルヤ。50分。
この日はオペラの日で全席15ユーロ均一で隙間のない満員で途中退席もほとんどなかった。日本のようにお金がなさすぎて現代音楽が衰退しているとは全く逆で、いくらでも安ければ我々のようなお金のない聴衆で超満員になるということをまざまざと見せつけてくれた欧州最大の現代音楽の街:ケルン!超満員でも決して黒字ではないがここでは本物の民主主義の勝利。来シーズもこのようにこれを続けていくのは確実であろう!シュトットガルトのコンビチュニーの「黄昏」はつまらなかったが、今回の決して大きくないオケとの大規模な演出は最も成功しているのではないか?
Wolfgang Rihm
Die Eroberung von Mexico
Musik-Theater nach Antonin Artaud
Musik und Libretto von Wolfgang Rihm (* 1952)
Koproduktion mit den Salzburger Festspielen
KÖLNER ERSTAUFFÜHRUNG
Do /
Mai 16
StaatenHaus Saal 1 / 18:00 – 20:15 / Vorstellung / Einheitspreis € 15,-
Inhalt
Die blutige Zerstörung des kulturell blühenden Aztekenreichs im Rahmen der spanischen Eroberungszüge in der ersten Hälfte des 16. Jahrhunderts liefert lediglich die historische Folie von Wolfgang Rihms wegweisender Oper »Die Eroberung von Mexico«. In der Gegenüberstellung der aztekischen und spanischen Sphäre, … repräsentiert durch den Azteken-König Montezuma und den spanischen Feldherrn Cortez, offenbaren sich in diesem Musiktheaterwerk vielmehr zwei divergierende Formen der Wahrnehmung – und die damit einhergehende Schwierigkeit bzw. Unmöglichkeit von Kommunikation.
Zwei Welten treffen aufeinander – am Ende steht auf beiden Seiten das Scheitern: Wolfgang Rihm besetzt die Partie des Azteken-Königs Montezuma mit einem hohen Sopran. Cortez ist ein Bariton, ergänzt durch zwei Sprecher. Dieses Geschlechter-Rollenschema verweist auf die Gegenüberstellung von weiblichem und männlichem Prinzip, in dem sich nicht zuletzt eine gänzlich unterschiedliche Haltung zur Natur spiegelt.
Inszenierung
Das digitale Programmheft zu »Die Eroberung von Mexico« finden Sie hier.
Auf dem Höhepunkt des brutalen Massakers sind, leicht versetzt zu den Klängen aus dem Orchestergraben, Orchester-Einspielungen vom Band zu hören. Auch hier wird deutlich: Ein zentrales Thema dieser Oper ist die Hinterfragung von Wahrnehmung … – jener der Realität wie auch jener der Musik. Damit einher geht die Entscheidung, den wichtigen Part der Dolmetscherin Malinche, die im Auftrag der Azteken mit den Spaniern kommunizieren soll, mit einer Darstellerin zu besetzen, die stumm bleibt. Die vier Teile des Stücks sind jeweils mit Überschriften (»Die Vorzeichen«, »Bekenntnis«, »Umwälzungen«, »Die Abdankung«) versehen, aus denen sich nur scheinbar so etwas wie ein Handlungsverlauf ergibt. Tatsächlich aber sind die gezeigten Zustandsbeschreibungen, Emotionen und Abläufe in einen zeitlos-assoziativen Kontext gestellt.
Am Pult der Kölner Erstaufführung steht der argentinische Dirigent Alejo Pérez, der an der Oper Köln bereits 2014 überaus erfolgreich die musikalische Leitung bei Wolfgang Rihms »Jakob Lenz« innehatte. Für die Inszenierung, eine Koproduktion der Oper Köln mit den Salzburger Festspielen, zeichnet mit Peter Konwitschny einer der renommiertesten deutschen Opernregisseure verantwortlich.
»Neutral? Weiblich? Männlich?«
(Cortez, 3. Teil)
Besetzung
Inszenierung Peter Konwitschny / Bühne & Kostüme Johannes Leiacker / Klangregie Peter Böhm, Florian Bogner / Licht Manfred Voss / Dramaturgie Bettina Bartz / Video fettFilm /
Musikalische Leitung
Alejo Pérez / Arnaud Arbet
Montezuma
Ausrine Stundyte
Cortez
Miljenko Turk
Sopran
Susanna Andersson
Alt
Kismara Pessatti
Sprecher 1
Stephan Rehm
Sprecher 2
Peter Pruchniewitz
Orchester
Gürzenich-Orchester Köln
Chor
Aufnahme des Chores des Teatro Real de Madrid (2013)
作曲家 指揮者 ピアノ 現代音楽 オペラ∩声楽曲