サウルさん
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このブログ(日記)へのコメント
2010年07月24日 09時22分18秒
そうですね。審査員を1人にして、個性を持たせることを売り物にしている(表現が下手ですが)ようです。
コンクールに、審査員が多いと、個性的な作品は入賞出来なくなるので、それを回避しようという狙いなのでしょう。
作曲のコンクールの結果は、理解出来ない場合が多いです。
トリスタン・ミュライユさんとういう人の個性が反映されるなら、トリスタン・ミュライユ賞にすベキでという感じがします。(少なくとも「武満作曲賞」ではなく「トリスタン・ミュライユ選考による武満作曲賞」のように、毎回あ必ずきちっと表現しないと変です。)
武満さん本人が、生前どのようなことを望んでいたか<?>です。
(名前が売れすぎるよ死んだ後は、何をされるのか分からないです。その点、私は安心です。)
それにしても、あまり面白くない作品が多いように感じました。審査員をしたトリスタン・ミュライユというひとの作品も面白くないのかもしれません。(トリスタン・ミュライユの作品を知りません。いわゆるスペクトル楽派らしいですが・・・)
2010年07月24日 10時24分07秒
一人で審査させるとどうしても個人的な趣味の主観的になりますので偏ります。集団でやるとどんどん客観的になり個性が生まれません。日本は予算対策で少ない審査員でやるのが流行っていますね。審査は普通1時間で全部するのですが、作曲家が数人机に座って謝礼が一人10万円ぐらいになりますから馬鹿になりません。多くは演奏審査よりも譜面審査は主です。音はプロがやるのでわかりますから完全な形でみんなに理解できるような目に見える証拠があったほうが良いのですね。複数の審査の場合はまずは意見が割れて何時まで経っても決まりませんから最後は投票で無理やり決めちゃいいます。まあー、みんな全力を尽くすのでしょうけれども、「結局はわからない」のが一般的です。コンクールはとりあえず良さそうな作品の「音を出す機会を作る」のが目的なのですね。だから落ちた作品でも他のコンクールに出すとよく通りますね。結局は最後はその人の趣味の問題です。
ミュライユは今は世界でトップクラスのアメリカのコロンビア大学の教授だと思いました。なんと報酬が軽く一億超えるようです。昔から音芸などにそのせいで彼の作品の質が落ちたと指摘されていますね。大体作曲家は地位が高くなると質が下ります。最近だとジョージ・ベンジャミンかな?日本は有名音楽大学の教授が多いですね。自分の地位と経済状態に満足してしまって良い作品が書けなくなるのです。逆に50歳過ぎてもカネがなくて良い曲を書きつづけたシェーンベルクやジョン・ケージとは対照的です。
2010年07月24日 16時25分25秒
作曲コンクールに関して、その通りです。
オケ曲は音にするチャンスがなかなか無いので、コンクールはその意味ではチャンスでしょうね。
お金は、無いと困りますが、あり過ぎても良くないようです。
2010年07月24日 16時43分14秒
コンクールの賞や賞金と言ってもそれでずっと生活できるほどそんなに多くはないですから、音を出すことに特に注目すればいいでしょう。作曲はそれで入ったからと言って仕事が来るわけではないですからね。特にマイコンは参加料が世界一高いコンクールは割りに合わないですね。楽器だったら別ですが、入ったからって何の保障もありませんからね。作曲だけは昔からラジオのみでTVでは放送しなかったと思います。やはり審査するほうはTVまで流すほどの自信はないのでしょう。意外と審査も非公開で密室でコソコソとやっていますね。こういうところを楽譜を含めてTVで公開したら遥かに面白くなると思います。
2010年07月24日 18時15分58秒
私は楽譜信奉主義者ではないですが、楽譜を含めて、TV〜公開で審査するのは良いと思います。
そうなって欲しいです。
毎日コンクールの放送は、作曲部門も含めて最近TVでもやっているようです。
コンクールのドキュメンタリーという感じです。
2010年07月24日 19時04分56秒
演奏がすべてではないです。特に現代音楽になると難解になるのが多いですから、演奏そのものを信じれも駄目です。じゃ、誰も演奏できないかというとそうでもなくアルディティSQのクセナキスのように演奏できる人も世界には少数ですがいるわけです。日本のオケは貧乏ですから新作でも充分に練習取れないところは大半ですね。でも演奏不可能や難解な作品も必ずしも駄作ではなく古くからバッハやベートーヴェンの作品にもありますから悪い作品と決め付けるわけには行かないのです。やはり審査員が全員納得できる証拠となるとそこに書かれた音符しかないわけです。
NHKもその点は進化したかな?でもARDやRAIのように全曲放送すべきでしょう。現代音楽は審査も含めて失敗して当然です。じゃないとやってられないですね。
2010年07月24日 19時16分32秒
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PCが意外に早く退院してきた。
PC入院中、携帯を使って閲覧していたが、この上なく不便だった。少なくとも、私は携帯世代ではないようだ。
携帯でブログを書き込もうとしたら、上手く行かなかったので、改めで・・・
仕事の合間に、先日放送された、今年の武満賞の録音を聴いた。
2位と3位の作品だったが、どうもピンと来ない。最近の傾向なのだろうか、それとも審査員の好みの問題だろうか。
武満作曲賞は1人の審査員が選ぶ。誰かが誰かに依頼するのだろう、)今年は、フランスのトリスタン・ミュライユと言う人。彼の講評もイマイチ共感出来ない。
私が、時代と合っていないのだろうか?
25日にもう1人の2位の作品と、1位のを放送するようだから、それを聴いてみる予定。
作曲コンクールはあまり信用がおけない。そういうものの審査員を1人で受ける人の気持ちが理解出来ない武満賞でなくトリスタン・ミュライユ賞なら話しが分かるが)。
マラソンや棒高跳びならば、コンクールやレースの意味があるが、演奏の賞ならまだしも、作曲賞は?としか言いようが無い。
競うのが、(私の大嫌いな意味での)アカデミックな作曲技術を競うのならばまだ理解出来るが?
こんな内容をPCで書こうとしたら、全部消滅してしまった。