京都は三条へ続く道
祖母が2006年7月に他界して以来、
熱心な御先祖様研究が続いた。
最終的に行き着いた所は
琵琶湖近辺、『京都&滋賀』だった。
御先祖様は滋賀県野洲市にあった矢島郷から
足利を捨てて、矢島という姓を名乗りました。
京の町を焼き払われ、織田信長に討ちのめされた後は
立花に仕え柳川城へ入り込みました。
これぞ室町幕府の最後を飾った御先祖様の運命!!!
京都・京都・京都にうなされる日々。
毎日それしか考えていない自分がいる。
『京ことば』を学び、京都のお寺や神社について調べ、
鴨川に恋をしては、八つ橋を懐かしく思う。
この京都への想い、
情熱は一体何なんだろう???
もっともっと研鑚してみますと
京都は三条川原で皆斬首に遭ったものの、
徳川家康を悩ませながらも
立花宗茂だけは生きて柳川へ帰った言う。
矢島八千子という大層な京美人を嫁にもらい、
ジュリアス・シーザーの如く、
勇ましく生きた戦国武将として
我が国の歴史に刻まれた男となった。
これぞこの世の七不思議!!!
鍋島藩の矢島は私の曾祖母まで続いている姓、
京都の三条へ何故自分が導かれていくのか、
それは単なる偶然ではなく、必然なのです。
私が生まれるずっとずっと前から決まっていた宿命なのです。
木屋町三条公演が益々楽しみになってきました。
切っても切れない御縁とは正にこのことか!!!
私の人生、何事も命懸け、
この出会いと巡り合わせにどこまでも深謝!!!
裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:01/23 01:30 最終更新日:01/23 02:37
2件のコメント
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2008年01月23日 02時37分44秒
しぇぶろんさま、
足利義昭公・・・どうやらそのようです。等持院ですか、今出川通りのあるところですね。是非行ってみます。義昭の孫嫁が今出川家の出ですね。また、足利の御先祖様は畠山ですから、私の生まれ育った旧鎌倉街道のあるところがゆかりの地です。
調べてみますと全て繋がっていますから本当に不思議ですね。私の育ての親、祖母が最後に見たかった場所がこれまた京都でした。私の両親にとっては死ぬ前に京都一周させてあげれたのが最後の親孝行になった模様です。貴重な情報を誠に有難う御座いました。
裕美・ルミィヤンツェヴァ
2008年01月24日 00時50分20秒
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こんばんは。
足利ということは、御先祖様は足利義昭公でしょうか?
もし、そうでしたら、尊氏公の御子孫なんですね。
京都の等持院というお寺は代々、足利家の菩提寺ですから
京都に行かれた際は、そこをお訊ねになるのもいいのではないでしょうか。