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ラグタイム・マーの世界

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4月7日ビリーのお誕生日の想い出 

『ビリー、お誕生日おめでとう!!!』と2006年に纏めた記事

↓↓↓↓

【4月7日】

今日は私の敬愛するビリー・ホリデーのお誕生日だ。
生きていたら91歳になったのだろう。

父親の Clarence Holiday はビリーが未だ幼い頃に家族を捨てた。
そして、有名になるまで、彼女を娘として拒否し続けた。

母親がニューヨークに移転したことから、
ビリーも後にニューヨークへ行くこととなるが、
孤児同様、実の親に捨てられたばかりか、
育ての親となった親族にも酷い扱いを受け、
ビリーの幼少時代は悲惨そのものだった。

そんな中で彼女は売春婦に身を落とし、
短期間ではあったが、牢獄に入れられる羽目となった。

ハーレム・クラブで JOHN HAMMOND に見初められ、
BENNY GOODMAN とのレコーディング機会を得た彼女は、
続いて、Teddy Wilson、 Lester Young、Count Basie、
Artie Shaw と肩を並べる一流シンガーにのし上がり、
多くの歌手達の模範となった。

彼女が世界的人気を得るようになったのは、
Strange Fruit、Gloomy Sunday、Lover Man のような
気だるいメランコリーや恋に落ちいる女心、
自殺や人種差別をテーマにした曲を歌ったことがきっかけであろう。

また、1946に映画 「New Orleans」 で、
ルイ・アームストロングと共演したことも 彼女の知名度を更に上げた。

愛する男に痛めつけられ、私生活の乱れから麻薬にはまり、
またもや牢獄に入れられるビリー。
それでも数々の曲を録音し、ツアーに出掛け、
歌い続けた彼女であった。

しかしながら、今度ばかりは、救われなかった。
傷ついた心は酒を欲し、年と共に健康状態は悪化し、
二度とかつてのビリーに戻ることはなかった。

ビリーの声は弱く洗練されていなかった他、
彼女には音楽的教養など全くなかったが、
誰にも劣らない程の肥えた耳があった。

彼女が持っていたのは、
ルイ・アームストロングに感謝するべく歌唱テクニックで、
ベース・ラインの動きにより、
自然に作り上げられるメロディー・ラインであった。
彼女は楽器が奏でているかのごとく
しばしばインストロメンタリストのような歌い方をした。

また、本人曰く、パワフルなブルース・シンガー、
BESSIE SMITH はビリーの模範であった。
そして、ビリーならではのアクセントの付け方と独特の歌唱力で、
人の心を打つ歌詞に重みをおいたブルースに仕上げたのである。

歌うばかりでなく、ビリーは歌を通じて自分の人生を嘆き悲しんだ。
彼女は歌詞を通じて人々に語りかけた。
時にはわめき、時にはささやき、時にはつぶやき、時にはうなった。
あたかも自分の魂を縛り出すかのような歌声は、世界中に響き渡った。

それは、売春婦からカーネギー・ホールまで這い上がった
1人の黒人女性の人生そのものを象徴した心の歌であったのだ。

天国まで届くかな???ビリー、お誕生日おめでとう!!!
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ


作成日:04/24 02:51 最終更新日:04/24 02:51

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