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ラグタイム・マーの世界

さんのプロフィール

4月8日はカーメンのお誕生日

カーメン・マクレエ、お誕生日おめでとう!!!


4月7日、ビリー・ホリデーのお誕生日が終わると、
次の日は エラ、サラと並ぶ三大ジャズ歌手の一人、
カーメン・マクレエのお誕生日。
あ〜、忙しい、忙しい(笑)!!!

エラ・フィッツジェラルドが 1957年のNEWPORT JAZZ FESTIVALで、
カーメンを紹介したときに
「埋もれてはいるが、この上なく素晴らしいシンガーだ。」と
言ったのがとても印象的だ。

ビリーと誕生日が近かったせいもあるのか(←全然関係ないか?)、
カーメンはアフター・ビートで歌うビリーの伝統を
真っ直ぐに受け継いだ1人でもありました。

カーメンは ハーレムに生まれ、若い頃からピアノを弾いていました。
両親は 彼女にクラシックを勧めましたが、
ジャズ・ソングに魅了されたカーメンは
ビリーと共演機会が多かったスター・ピアニスト、Teddy Wilson と
その前妻であった作曲家のIrene Kitchings Wilson に見初められるまではソング作りに励んでおりました。

その出来栄えときたら、ビリー自身が歌った程でしたから、
大したものです。また、カーメンは 他の黒人シンガーに比べると
非常に女性的なきれいな声を持っていました。

初めてこなした重要な仕事は、
1944年 Benny Carter’s big band との共演。
しかしながら、彼女が本当に脚光を浴びることとなったのは
それから10年後のことでした。

40年代に、カーメンは Kenny Clarke と結婚し、
短期間で離婚していますが、
その直後には Count Basie や Mercer Ellington との共演に恵まれ、
ニューヨークのクラブに出演するにまで至りました。

1954年になって、彼女は初めてリーダーを務めることとなり、
ビリー・ホリデーのもたらした影響を最大限に生かすと同時に、
独自の bebop スタイルを築き上げてゆきました。

1989年までは 順調な録音活動が進んだが、
声は50年代と比べるとやや高くなった模様。
晩年、彼女の作り上げた旋律は どこか遠慮がちで不変そのもの、
そんな彼女をむしろバラードの女王にのし上げていった。

1950年代に Ralph Gleason にも認められたカーメンは
歌手人生を通じて、途切れることなくかなりの人気を誇っていた。

中でも、最も優れた録音は Louis Armstrong との共演や
Betty Carter とのデュエットを可能にした
Dave Brubeck の「the Real Ambassadors 」 だろう。
Dave Brubeck と George Shearing の伴奏で歌えるとは
なんとも幸せですね。

そして、彼女のキャリアの最後を飾ったのは 
Thelonious Monk と Sarah Vaughan に感謝の印を表した
素晴らしい録音であった。

カーメンはタバコを止めることを拒み続け、
最終的には気腫(きしゅ)で、歌手人生を諦めることとなります。
1991年のことでした。

タバコか歌か、彼女にとっては人生における
究極の選択だったのかもしれません。

めでたし、めでたし!!!
裕美・ルミィヤンツェヴァ


作成日:04/26 03:38 最終更新日:04/26 03:38

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