第2回三頭政治
当初は対立した両派であったが反共和派、
反元老院で一致しアントニウス、オクタウィアヌス、
レピドゥスの三者による同盟が成立。
その勢力によってローマの支配権を掌握した。
三人は国家再建三人委員に就任し,
第2回三頭政治と呼ばれる形でローマを支配した。
このとき三人委員会によるプロスクリプティオで、
アントニウスの長年の政敵であったキケロが殺害された。
その後ギリシアに逃れていたマルクス・ユニウス・ブルートゥス、
ガイウス・カッシウス・ロンギヌスら共和派を
オクタウィアヌスと共にフィリッピの戦いで破り、
カエサル暗殺者・共和派の息の根を止めた。
三頭政治は元々権力争いの一時的な妥協として成立していた為、
各人は同盟関係にありながらも自らの勢力強化に努めた。
アントニウスはローマを離れ、
共和派に組していた東方の保護国王らと会見し関係を強化した。
このときエジプトプトレマイオス朝の女王クレオパトラ7世とも出会っている。
こうした中、紀元前41年冬にアントニウスの弟ルキウス・アントニウスと
妻フルウィアはイタリアでオクタウィアヌスに反抗して蜂起した。
この戦争にはオクタウィアヌスが勝利したが、
ここで改めて三人の同盟の確認が行なわれた。
アントニウスは死亡した妻フルウィアの後妻に
オクタウィアヌスの姉オクタウィアを迎え、
婚姻関係によって同盟は強化された。
同時に三頭官はイタリア以外の帝国の領土を三分割し、
東方はアントニウス、西方はオクタウィアヌス、
アフリカはレピドゥスとそれぞれの勢力圏に分割した。
カエサルの果たせなかったパルティア征服
という軍事上の成果を上げることで、
競争者であるオクタウィアヌスを圧倒することを目論んだアントニウスは、
紀元前36年にパルティアに遠征した。
この遠征の後背地としてアントニウスは豊かなエジプトを欲し、
女王クレオパトラとの仲を再び密接にしていた。
しかし、この遠征は失敗しローマ軍団のシンボルである
鷲旗もパルティアに奪われた。
これを第2次パルティア戦争と呼ぶらしい。
婚姻関係によって同盟が成立したり、
敵対心より戦争が勃発したり、
女の奪い合いで、政治が決まったり、
古今東西やっていることも、起こっていることも、
実に似通っておりますね。
男の出世の為なら、身を削るのは当然、
国家を支配するべく男の為なら尚更、
女は強く賢く逞しく生きねばなりません。
荒れ狂う地中海に学ぶこと多きです。
これぞこの世の七不思議!!!
裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:10/21 04:09 最終更新日:10/21 04:09
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