ドヴォルザークの最期
1901年オーストリア貴族院はドヴォルザークを終身議員に任命し、
同年7月にはプラハ音楽院の院長に就任した。
しかし、多忙のドヴォルザークの院長就任は
多分に名目上のものであり、
実務や組織はカレル・クニトゥルが執務した。
ドヴォルザークには尿毒症と進行性動脈硬化症の既往があったのだが、
1904年4月にこれが再発。5月1日、昼食の際気分が悪いと訴え、
ベッドに横になると直ぐに意識を失い、そのまま息を引き取った。
死因は脳出血だった。
葬儀はその4日後の5月5日に国葬として行われた。
棺は先ずプラハの聖サルヴァトール教会に安置された後、
ヴィシェフラド墓地に埋葬された。
やはり魂は生まれ故郷に戻ってきたのですねぇ。
私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!
裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:01/30 22:22 最終更新日:01/30 22:22
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