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奴隷の謎

古代エジプトにもファラオの奴隷が存在しておりましたが、
意外や意外、我が国にもかつて奴隷は沢山おりました。
縄文時代には『生口』なるものが、
古墳時代には『公奴婢(くぬひ)』や『私奴婢(しぬひ)』が正にそれ、
平安時代には『勾引(こういん)』や『子取り』が、
鎌倉時代には日本人の婦女子が高麗王に奴隷として献上されたり、
戦国時代には『人取り』と呼ばれる略取が盛んに行われ、
日本人奴隷は主にポルトガル商人を通して世界中に輸出されたり、
まぁ色々です。
それを禁止したのが豊臣秀吉の『バテレン追放令』、
偶然にも私の誕生日は豊臣秀吉と同じ元日です。

江戸時代になると『勾引』は死罪、奴隷身分も廃止、
ただ年貢を上納する為の娘の身売りだけは認められておりました。
明治時代に、『芸娼妓解放令』が太政官布告として発せられ、
太平洋戦争の勃発に伴い日本人の海外渡航が制限された為、
日本女性の海外輸出も自ずと終了、
新憲法に基づく児童福祉法、売春防止法、農地解放などによって、
我が国に於いて人身売買や奴隷労働がほぼ一掃されたのは実は戦後のことなのです。

因みに私の大叔父さんはドイツ人と日本人のハーフでした。
19世紀後半のことですが、当時は『たからゆき』さんと言って
海外へ渡って娼婦として働いた日本人女性がいたそうです。
中でも長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身が多かったとか。
私の大叔父さんのお母上はドイツ人と結婚し現地へ行ったが、
どうも現地の生活に馴染めなくて子連れで帰国したとのことだが、
シーボルトの話一つ取ってみても長崎に於ける国際結婚は結構あったらしい。

更にこれまた偶然ですが、ロシア人というスラブ人と結婚した私ですが、
スラヴ (Slav)の語源は『奴隷』、しかし、スラブ語に於いては
『偉大さ』や『栄光』を意味するスラーヴァの派生語であり、
そもそも不名誉な意味はないとのことです。

古代、スラブ人が捕らえられた際に奴隷に身を落とすことが多発、
これはギリシャ人がスラヴ (Slav)=『奴隷』
という扱いをしたことに由来するらしい。
それ故にギリシア文化をそのまま受け継いだローマ帝国のラテン語から
西欧諸言語に広まったと現在では考えられています。

社会の進化により、奴隷禁止令が出来、
人類も随分精神的に向上したかのように思われがちですが、
奴隷解放令が出たのは実はごく最近のこと。

1863年1月1日にリンカーンが奴隷解放宣言を行ったことは
誰もが記憶に鮮明に焼き付けていることでしょう。
そう、あの有名なゲティスバーグの演説に出てくる
リンカーンのセリフです。
『人民の、人民による、人民のための』政治、
リンカーンは正にこの日に『隷解放宣言』を行ったのです。

何の因果か、私は『隷解放宣言』の日に生まれました。
そして、よりにもよって自由を手に入れた黒人たちが
弾けるようなシンコペーションを導入したラグタイム・ソングを歌っております。
う〜ん、使命あってのことなのか、これぞこの世の七不思議!!!


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裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:05/09 01:38

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