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2007年に於けるアレェクスェイの誕生日

『もう1人のピアニスト、ALEXEI』


もうすぐアレェクスェイの誕生日、5月31日で38歳になる。
そして、6月の訪れと共に必ず思い出すであろう人が、
もう一人のピアニスト、ALEXEI SULTANOVである。
同学年生なので、アレェクスェイも名前は知っているという。

同じく1969年旧ソビエトで生まれたこのピアニストは
残念ながら2005年6月30日に帰らぬ人となった。
2001年に脳卒中の発作で倒れ、
脳膜下血腫除去の緊急手術を受けたが、
左半身麻痺によって演奏家生命は断たれ、
長いリハビリ生活と葛藤するが、舞台復帰は叶わなかった。

ウズベキスタンの有力なムスリム首長の家系に生まれるが、
ヨーロッパ文化に馴染んだチェロ奏者の父と
ヴァイオリン奏者の母の影響で、
4歳からピアノを学び、後にモスクワで学ぶ機会に恵まれる。

1989年にヴァン・クライバーン・コンクールで優勝者し、
一躍有名となった。
1991年にモスクワ音楽院時代の同窓生と結婚、
その後に渡米しテキサス州に移住。

1995年ショパン・コンクールでは、
圧倒的な演奏技巧と独創的な作品解釈によって聴衆に感銘を与えるが、
予想に反して1位なしの2位を
フランス人ピアニストと分かち合う結果となる。

民族差別と察したのか、スルタノフはこれに反発して
授賞式出席をボイコットしたが、
中にはポーランドの最長老
ハリーナ・チェルニー=ステファンスカのように、
スルタノフの解釈と演奏を心から賞賛した人もいた。

ショパン、ラフマニノフ、
プロコフィエフを得意としたピアニストであったが、
尊敬する作曲家はモーツァルトやシューベルトだったとか。

スルタノフはホロヴィッツの伝統をそのまま受け継いだ解釈者であり、
非の打ち所がないマグネティック・タッチと
透明感あるきれいで美しい音色が特徴であった。

アレェクスェイ・ルミィヤンツェフも同じく
ラフマニノフやホロヴィッツの
ロマン派ピアニストに多大な影響を受けた。
モスクワでジャズを勉強した後、
アメリカ南部の音楽に魅了されることとなる。

作曲家としてもショスタコヴィッチの親友であった
クリストフ・メイヤーより教えを受け、
ロシアの伝統を受け継いだ音楽家となった。

スルタノフがモスクワを訪れたホロヴィッツを追いかけたように、
アレェクスェイもサンクト・ペテルブルグへ演奏活動でやってきた
ホロヴィッツを一目見ようと幻のピアニストを追った。
今でもアレェクスェイが当時撮影した
ホロヴィッツの写真が実家のどこかに眠っているであろう。

もしスルタノフが生きていたならば、
アレェクスェイはきっと彼にどこかで出会っていたでしょう。
それは、冬のモスクワでかもしれないし、夏のテキサスでかもしれない。

音楽の話に永遠と花が咲き、良き友達になれたであろうこの2人。
運命のいたずらを時にはとことんとがめたくなる。
もう直ぐ6月、彼の冥福を祈ると共に
生かされた者の試練を乗り越えていかねばならない。


これぞこの世の七不思議!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:07/14 04:07

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