ユーザーID

Password


ホーム
検索

トップ
掲示板
お気に入りに追加
このコミュニティに参加

W.C.HANDYの謎

あの有名な作曲家
W.C.HANDY初のブルースとして出版された
「メンフィス・ブルース」は、
元々「MR.CRUMP」というタイトルで、
CRUMP氏が市長選運動をしていたときに
HANDYが書いたものでした。

しかしながら、この応援歌の効果があり、
CRUMP氏は市長になった後、
出世してテネシー政界のボスにまでなってしまいましたので、
曲名としてこの名前が使用できなくなりました。

そして、改名した名が「メンフィス・ブルース」。
新たなる歌詞を得て、
TIN PAN ALLEY初登場のブルースとして、
大成功を収め、ブルースの商業価値を思い知らせました。

そして翌年、自分よりも不幸な女性に出会ったことをきっかけに
彼はあの大ヒット作、「ST.LOUIS BLUES」を世に出しました。

彼の友人達は二十歳の頃、皆具体的な夢を持っていた。
お医者さん、弁護士、学校の先生や商人になる夢・・・。
でもHANDYは ただただミュージシャンになりたいと思っていた。

結局、父親の反対を押し切って音楽を職業にしたが、
案の定、食いっぱぐれてばかりのどん底人生。

空きっ腹に一文無し、寝床が見つからず
丸石の上で寝たことがあるならわかるだろう。
それから21年後に 何故彼が
「ST.LOUIS BLUES」でこう綴ったのか・・・。

“ I HATE TO SEE THE EVENIN’ SUN GO DOWN. ”

ブルースに秘める心の叫びがたまらない!!!
これからも100年前の悲しみ喜びを皆さんにお届けし続けます。

私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:11/08 02:37

Muse運営について

Muse(c)2024