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ポール・ニューマンと愛息の死

1975年にポール・ニューマンはカール・ハースと共に
ニューマン・ハース・レーシング、
現『ニューマン・ハース・ラニガン・レーシング』を結成し、
CARTに参戦しました。

1977年のデイトナ24時間レースで5位を記録すると、
1979年のル・マン24時間レースでは2位を記録。
レーサーとしても華やかな成功を記録しました。

その一方で俳優業は不振が続き、
『タワーリング・インフェルノ』のアーウィン・アレンと再びタッグを組んだ
パニック映画『世界崩壊の序曲』は興行的に大失敗した上、
批評家からは『史上最低のパニック映画』と酷評され、
ポール自身も同作への出演を後悔する旨の発言をする始末でした。

更に1978年には大スターの息子である重圧に耐えかねたスコットが
酒とドラッグに溺れ命を落としました。
愛息の死を嘆いたポールは麻薬撲滅運動の展開を決意。
ドラッグで命を絶たれた息子の名を冠した『スコット・ニューマン基金』を設立し、
ドラッグの弊害を描いた映画やテレビ番組に対する資金提供を行いました。

大スターであるが故に直面した悲劇という気がしてなりませんが、
非常に険しい道を歩んできた人だったのですね。
顔の皴や表情からあれだけの哀愁を漂わせることができるのは、
きっとそれなりの人生を歩んできたからなのでしょう。

私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:11/15 00:25

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