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スペインの征服と植民地時代

マゼラン艦隊の生存者はスペイン帰国後、
東方にある楽園の価値を報告しました。
そして、後に続く探検者が航海に送りだされたが全て失敗に終わりました。

マゼランのセブ島到着から44年後の1565年、
征服者、コンキスタドール、ミゲル・ロペス・デ・レガスピは、
500人の武装した兵士と聖アウグスチノ修道会、
及びフランシスコ会からの修道士を連れて
マリアナ諸島、ヴィサヤ諸島の各島を経てセブ島に到着、
スペイン王の王冠の元、島の支配を進めると宣言しました。

レガスピたちはラジャ・フマボン王の息子、
ラジャ・トゥパス王の砦を砲撃しスグボの町を破壊しました。
彼らは後に町を再建し、名を改め
ヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘスス、
Villa del Santisimo Nombre de Jesús、
イエスの最も聖なる御名の村とし、
教会や大学を建設しました。
1569年、この町はスペイン議会、Spanish Cortésにより
フィリピンに成立した最初の入植地となりました。
レガスピの部下たちは更に兵士を率い、
マニラを襲ってこれを征服しました。

1571年8月14日、セブ、
ヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘススは
マニラの司教区から離れ、独立した司教区となりました。
レガスピが同年、マニラに新たに確立した入植地へ本拠を移した後も、
彼はセブを見放さず守備隊と知事を雇って町を管理させ、
兵士の半分はセブに残しました。
以後、セブはスペインの植民都市としての繁栄が続きました。

3世紀の後、1898年6月12日、スペインの支配は倒され独立が宣言されたが、
続くアメリカ合衆国の侵入により再び植民地支配が続きました。
1901年、セブは町、municipalityとなり1937年2月24日、
市、chartered cityなりました。

何だか日本の長崎を連想してしまいました。
私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:12/17 19:33

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