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11月11日(火)アレェクスェイ・ルミィヤンツェフの独り夜御飯

【アレェクスェイ・ルミィヤンツェフ】
・黒パン
・ボロニア・ソーセージ
・卵料理
実はよく知らない??????


【ドリンク】
・紅茶


【本日の学び】

フレデリック・リンガーは英国のノーフォークに生まれ、
若くして中国に渡った彼は1863年広東にある英国系の会社で、
茶の検査官として働いている時にトーマス・グラバーと出会い、
乞われてグラバー商会に入社し製茶事業技術顧問として活躍。

1860年代後半、南山手2番地の山腹に天草産の砂石で、
バンガロー風邸宅を造り、その家で家族と生活を共にした。
1868年(明治元年)、フレデリック・リンガーとE・Z・ホームによって
グラバー商会の後を引き継ぐ形で、ホーム・リンガー商会を設立した。

この商会は長崎の主要な貿易品である緑茶の輸出を行い、
他の貿易品には英国などから機械、造船器材、鉄板、板ガラス、
カージフ炭、毛織物、洋酒などの輸入販売を業務としていた。
また、数十にも及ぶ各種事業公社の代理業務も兼任していた。

1907年10月、日本で初めて蒸気トロール船を取り入れた
『長崎汽船漁業』を設立、
新会社の専務取締役にトーマス・グラバーの息子、倉場富三郎が就任。
海底をさらうように大きな円錐形の網を引き、
捕獲するこの漁法はあまりにも革命的な漁獲をもたらした為、
今まで伝統的漁法に甘んじてきた地元の漁師たちより抗議がでた。
1909年底引き網漁に関する多くの規制事項を盛り込んだ解決案が
採決され和解となった。

長崎ちゃんぽんで有名な赤いとんがり屋根の『リンガー・ハット』は
明るく響きのよい小さな家と意で、
このフレデリック・リンガーの名にあやかり付けられたものだそう。
西洋と東洋の文化が上手く混じり合い独特の文化が誕生した長崎の街、
幕末から明治維新初期に人々が集い、
変革の機運と活気がみなぎっていた様子が今でも伝わってきそうです。

そいえばノーフォークには若かりし頃にいったことが御座います。
グレート・ヤーマスとか、ノーリッチとか、懐かしいなぁ。

私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:01/24 00:09

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