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プッチーニのオペラ

第3作の『マノン・レスコー』は大成功となったばかりか、
優れた台本作家ルイージ・イッリカと
ジュゼッペ・ジャコーザの協力を
ももたらすきっかけとなった。
この2人の協力の下に『ラ・ボエーム』と『トスカ』、
『蝶々夫人』の3曲が書かれた。

このうち『ラ・ボエーム』は
プッチーニの最高傑作としてのみならず、
それまでのプッチーニ作品の中では
最もロマンティックなオペラの1つに数えられている。
『トスカ』はその露骨な暴力描写、
主役3人が舞台上で死ぬストーリー、
そして扇情的な音楽などが話題となった。

『蝶々夫人』は殆どが他人の手によりオーケストレーションされた為、
初演時には敵意をもって迎えられたが、
かなり手直ししてからは、
プッチーニの最も成功した作品のひとつになった。

それからは御難続きで作曲の筆が緩やかになる。
1902年の2月下旬、珍しがりやの性格から、
自動車を手に入れ早速乗り回していたところ、
交通事故を起こし、脚を骨折、
1906年にはジャコーザが他界。

1909年には、プッチーニの妻エルヴィーラが、
誤解からプッチーニが女中と浮気していると責め立て、
疑われた女中が服毒自殺、
エルヴィーラが起訴されるというスキャンダル、
ドーリア・マンフレーディ事件に発展する。
そして1912年には恩人であったリコルディ社
社主ジューリオが世を去る。

しかしながら、1910年に会心の作品『西部の娘』を完成させ、
1917年には『つばめ』を脱稿した。
『つばめ』は初めオペレッタの作曲を試みながらも、
自分の創作様式や能力が喜劇に不向きであると悟って、
書き直された作品である。

『ラ・ボエーム』と『トスカ』は
イタリア語とドイツ語で読んだ記憶がある。
『蝶々夫人』に関しては
長崎の舞台、グラバー邸に行ったのが最も印象的、
自分自身もい海外ではよく『蝶々さん』と呼ばれる。
単に日本人女性だからなのでしょうか????
歌自体はマリア・カラスが一番良かったなぁ。

これぞこの世の七不思議!!!
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:01/29 20:56

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