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グリーグの生涯

グリーグはスウェーデン統治下のノルウェーで、
ベルゲン市街の家に5人きょうだいの
第4子(兄1人、姉2人、妹1人)として生まれた。

1858年(15歳)、ヴァイオニスト、オーレ・ブル、
(Ole Bull、1810年〜1880年)に才能を見出され、
3年半の間ライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学ぶ。

1863年から3年間、デンマークのコペンハーゲンに居住し、
作曲家ニルス・ゲーゼに学んだ。
ここで、交響曲(作品番号なし)、ピアノ・ソナタ(作品7)、
ヴァイオリン・ソナタ第1番(作品8)など初期の作品が作られた。
また、従妹でソプラノ歌手のニーナ・ハーゲルップ
(Nina Hagerup、 1845年〜1935年)と出会い、1867年に結婚。
後の歌曲は、殆どニーナ夫人の為に作曲された。

1867年には、クリスチャニア(現オスロ)の
フィルハーモニー協会の指揮者に就任し、
民謡蒐集家リンネマンや国民的詩人ビョルンソンと親交を持つ。
『十字軍の王シーグル』の為の劇音楽が作曲された。
グリーグの重要な作品である『抒情小曲集』第1集を出版。

1877年から1880年まで、ベルゲン東方の
ハダンゲル(ハルダンゲル)地方に住んだ。
次第に、民族音楽、民族楽器へ傾倒していく。

1884年にベルゲン近郊のトロールハウゲン(妖精の丘)に住家を建築、
ベルゲン出身でデンマークで活躍した
劇作家ルズヴィ・ホルベア
(Rudwig Horberg、1684年〜1754年)の生誕200年の為に
ピアノ組曲『ホルベアの時代から』(翌1885年に弦楽合奏に編曲)を作る。

1901年(60歳)、次第に健康状態が悪化。
『抒情小曲集』第10集を出版。
1905年のノルウェー独立を見届けたあと、
1907年、ベルゲンで没した。

兄ヨーンも、ライプツィヒ音楽院で学び、
チェロを演奏したが、職業的音楽家にはならなかった。
兄の為に作曲したチェロ・ソナタがある。

オランダ、ドイツ、デンマークは行ったことあるし、
スウェーデンの空港を利用することもあったけど、
ノルウェーにはまだ一度も行ったことがないです。
いずれ是非!!!!!

私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:01/30 22:05

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