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ドヴォルザークの影響

ドヴォルザークは西洋音楽史上、
後期ロマン派に位置する作曲家
この時代にはドイツ・オーストリア、イタリア、
或いはフランスといった音楽先進地域の外で国民楽派が勃興し、
ドヴォルザークは1歳年上のピョートル・チャイコフスキー(ロシア)、
2歳年下のエドヴァルド・グリーグ(ノルウェー)らと共に、
同楽派を代表する存在である。
同時にベドルジハ・スメタナと共に
チェコ国民楽派あるいはボヘミア楽派の創始者の一人として、
ドヴォルザークはレオシュ・ヤナーチェクを初めとする
以後の作曲家たちに大きな影響を与えた。

ドヴォルザークはワーグナー派対ブラームス派の対立が
明らかとなった時代に学習期を迎えている。
1860年代後半、彼はワーグナーの音楽に心酔し、
プラハでワーグナーのオペラを常時上演していた
ドイツ劇場(スタヴォフスケー劇場)に足繁く通った。

1871年に作曲したオペラ『王様と炭焼き』第1作には、
ライト・モティーフの使用や切れ間なく続く朗唱風の音楽に、
ワーグナーの影響が明らかに見て取れる。
しかし、この作品は失敗作と見なされ、
初演を迎えることはなかった。

ドヴォルザークはこの『王様と炭焼き』第1作と
全く同じ台本に異なった音楽を付け、
ナンバー・オペラに仕立てた『王様と炭焼き』第2作以降、
徐々にワーグナーの影響下を脱していく。
こうしたドヴォルザークの才能にいち早く着目したのは、
ワーグナーと相対していたブラームスである。

ドヴォルザークはブラームスや『ブラームス派』の音楽評論家
エドゥアルト・ハンスリックらの推挙によって
作曲家としての地位を築いた。
彼はこうした先人たちの残した豊かな遺産を十全に活用し、
ワーグナーから学んだドラマ性、
ブラームスも着目する構成力を高い次元で兼ね備えた作曲家であった。

とはいえ、ドヴォルザークの音楽をとりわけ魅力的にしているのは、
シューベルトと並び賞される、
その親しみやすく美しいメロディーである。
彼の交響曲第9番の第2楽章は、
日本語の歌詞が付けられて唱歌『家路』として親しまれるだけでなく、
学校やデパートなどの終業時刻を知らせるメロディーとしても
多く利用されている。
ピアノ曲『ユモレスク』変ト長調(Op.101-7, B.187-7)は
フリッツ・クライスラーによる
ヴァイオリン独奏をはじめとする様々な編曲で演奏され、
耳に馴染んでいるメロディアスな作品である。
また、歌曲『我が母の教えたまいし歌』は、
クラシック音楽声楽家のみならず、
ポピュラー・シンガーによっても愛唱されている。

実に興味深いロマン派時代ですね。
私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:01/30 22:06

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