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ドヴォルザークの登場

チェコの音楽界に民族主義が持ち込まれたのは、
18世紀後半のドイツの哲学者で神学者でもあった
ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーによって提唱された
『民族精神』の概念によってであった。

ヘルダーはチェコ民謡を採集し、アンソロジーの形で発表した。
これに刺激され、19世紀になるとチェコ人自らが
民謡の収集・出版を行うようになった。
19世紀末から20世紀初頭には、
スメタナ、フィビフ、ドヴォルザーク、ヤナーチェク
といった才能の開花に繋がっていった。

このようなチェコ国民音楽の形成過程の中で、
個々の作曲家たちにとっては
民謡、或いは民族舞曲との距離の取り方が
重要な問題として問われるようになっていった。
保守的な伝統主義者であった作曲家
フランティシェク・ラディスラフ・リーゲルと
そのグループは『民族色を打ち出すには
民謡の単なる引用と模倣で十分である』と主張し、一定の支持を得ていた。

これを真っ向から否定したのがスメタナである。
スメタナは1865年に『民謡の旋律やリズムの模倣により
国民様式が形成されるのではない』と表明、
標題音楽を創作することで国民性を獲得しようとした。
すなわち、音楽の題材としては
チェコ民族の持つ歴史、詩歌、民話などを採用するが、
技法的にはあくまでも西欧音楽の技法によることで、
チェコ国民音楽を広くヨーロッパに知らしめようと考えたのである。

そこでは民謡の引用や舞曲リズムの使用は、
具体的な場面描写に限定して用いられている。
こうした『標題性』を重視する立場は『進歩派』と呼ばれ、
フィビフらがこの思想に同調した。
こうした立場は先述のリーゲルやその思想を受け継いだ
フランティシェク・ピヴォダら『保守派』からは
国民音楽ではなくドイツ音楽であるとの批判に晒され、
『進歩派』対『保守派』の論争となった。

音楽に於いても色々な対立があるのですねぇ。
私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:01/30 22:07

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