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ドヴォルザークに於けるアメリカでの葛藤

ナショナル音楽院は作曲の学校を創設するという目的の為に
創設された音楽院であった。
創始者のジャネット・サーバー夫人は、
メトロポリタン歌劇場に対抗して、
アメリカ人作曲家による英語のオペラ上演を行うことが夢であった。

すなわち、この音楽院は、アメリカに於ける
国民楽派の創立を目指す拠点としての位置付けにあった。
チェコ国民楽派の大物作曲家であった
ドヴォルザークを招聘した目的も
アメリカ国民楽派創立に向けての音楽教育、
特に作曲分野での充実を図る狙いがあった。

ドヴォルザークがアメリカに到着した直後に、
サーバー夫人はアメリカ人作曲家の為の
オペラ賞の設立を発表している。

しかし、アメリカ時代のドヴォルザーク門下からは
特筆するような作曲家や音楽作品は生まれず、
サーバー夫人のもくろみは直接的には果たされなかった。
その理由として、基本的な音楽教育が
不備でありナショナル音楽院の学生のレベルが高くなかったこと、
ドヴォルザークが教鞭を執った期間が短すぎたこと、
ドヴォルザーク自身がネイティブ・アメリカンの音楽や
黒人霊歌を研究・吸収することに時間を費やし
実践的教育にまで至らなかったことなど、
様々な憶測がなされている。

それでも、これはドヴォルザークが以後のアメリカ音楽の発展に
寄与しなかったということには当たらない。
ドイツを範とする傾向が強かった当時のアメリカの作曲界に、
国民音楽の潮流を生み出したことは間違いない。

何事にも葛藤は付きものですねぇ。
私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:01/30 22:09

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